This form of government was calculated
to cultivate the
spirit of true liberty
If Moses had been ambitious,
he would have
misused his power
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Moses anointing Aaron High Priest
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この偉大なる律法家、モーゼは、人々の政治を祭司の血統である彼の直接の親族の支配下に委ねて自分自身の権力を強め不朽のものにしようとすることなく、また、自分自身の宗教的権力を人々の権利と自由を拘束することに使うことなく、むしろ自由の精神を開拓するような政治の形体を人々に授けたのである。
他の国の歴史や支配者たちはこれに匹敵するものではない。どの場合も、支配者というものは皆、自分自身の増強と、より大きな力を求めてきた、共和政体を確立しようとする場合でさえも、必ず伴うのは、彼ら自身の権勢を不朽にするために人々にこびへつらうことであるように見える。
モーゼのような境遇に立つ野心家であれば誰でも、巧みなくわだてと欺きを人民の上に振るって自分自身と自分の家族に権力を集中しようと懸命になるであろう。まして、モーゼのようにすでに宗教的権力を持つものとして民族の中に存在し、神によって治められるべきことであるという国の主義があり、幕屋のようなものがある状況では、横暴きわまる独裁専制君主となることはいとも簡単であったに違いない。
このような律法をつくり、このような民族を支配した有能な人間が、自分の方針の傾向を見通す含蓄に欠けていたとは考えられない。こうして、人民の政治は完全に人民の手中に置かれたのである。ただ、彼らが判断しかねるような重要な問題はモーゼ自らが処理するように規定されていたが、その場合でも、モーゼの所に持ち込まれる以前に、すべてのことが彼ら自身の判断の下に置かれていたのである。
あなたがたで決めるには難しい事は、私の所に持って来なければならない。私はそれを聞くであろう。(申命記1:17)
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The people
asked
for a king
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Samuel anointing
Saul king
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共和政体のイスラエル
ここに見られるように、イスラエルは神の権限に基づく共和国であった。聖書は、人民による人民のための政治
ではなく、王権政治によって人民を支配することを認めていると考える人々は、この共和政体が400年以上も続いたちう事実に注目すべきである。
そして、その後、主の許可を得ずして
長老
の要求によって王権政治へと変えられたのである。当時、非公式の大統領ともいうべき位置にあったサムエルに主は語った。民がすべてあなたの言う所の声に聞き従いなさい。彼らが捨てるのはあなたではなく、私を捨てて、彼らの上に私が王であることを認めないのである。
神の勧めによって、サムエルは、王権政治を採用することによって、いかに彼らの権利と自由が損われ、いかに奴隷的地位に堕落するかを説明したが、人々は、彼らを取り巻く他の国々の王権政治を羨み、それに心奪われていた。(Ⅰサムエル8:6~22)
当時の人々の王を持ちたいというこのような願望を考えれば、モーゼがいかに有能に国の頭としての位置を確立し、支配したかに驚嘆しない人があろうか? |
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Judges –
"Ye shall hear the small as well as the great..."
Deuteronomy 1:17
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Breastplate of the High Priest which had the Urim and Thummim
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The High Priest
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イスラエルが全体としては一つの国であったにもかかわらず、その種族的区別はヤコブの死後ずっと認められていた。各々の家族、または種族は、同意によって代表者もしくは族長となるメンバーを選んだ。
この慣例は、エジプトにあって奴隷の身分であった長い期間中でさえも持ち続けられていた。彼らは、族長、または長老と呼ばれ、モーゼが名誉と権威を分かちあったのは、それらの族長たちであった。
神によって、人々の支配者に与えられた教えは、単純と清潔の模範である。モーゼは執政者の面前で民に語った。
あなたがたは、兄弟たちの間の訴えを聞き、人とその兄弟または寄留の他国人との間を正しくさばかねばならない。あなたがたは、さばきをする時、人を片寄り見てはならない。小さい者にも、大いなる者にも聞かなければならない。
人の顔を恐れてはならない。さばきは神の事だからである。あなた方で決めるにむずかしい事は、私のところに持ってこなければならない。私はそれを聞くであろう。(申命記1:16、17)
モーゼの死後、彼らが決めるにむずかしい事は、大祭司を経て直接神に伝えられ、神はウリムとトンミムによって肯か否かを答えられた。
これらの事実を考えると、モーゼの五書と言われるこれらの書が、人々の上に権力を振おうとたくらむ悪い祭司によって書かれたとする説はどうであろうか?彼ら自身の一種族であり、イスラエルの偉大な指導者である人間が、自ら求めるその目的を破壊するような記録を偽造するであろうか?
それは、神の勧めによって政治と宗教を分離し、人々の手中に政権を委ねたことを証明する記録だからである。このような結論が合理的と言えるであろうか?
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"Jubilee"
– the economic leveler
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Blowing the Jubilee Trumpets
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繰り返すが、20世紀の現代の最も進歩した文明の律法であろうとも、富める者も、貧しい者も律法の前には平等な責任を持つことを、モーゼの律法以上に示してはいない、という事実は注目に価いする。モーゼの律法には、いかなる差別も絶対にない。
50年毎の返還――ヨベルの年というものを規定した。
25:9、13~23、27~30)事実、彼らは彼ら自身を兄弟と考え、それに従って行動し、お互いに報酬を求めずに助け合い、利子をとって貸し借りをしてはならないと教えられた。(出エジプト22:25、レビ25:36、37、民数記26:52~56) |
All the laws were
read aloud
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God’s government
protected Israel
from dictatorship. |
人民の権利を侵害しようとするもくろみを防ぐために、すべての律法は公表された。律法を写したい人には自由に写せるような方法が設けられ、また最も無学な人々にもこれを知らせるため、祭司が7年毎の祭りの際に、これを人々の前に読んで聞かせることが義務づけられていた。(申命記31:10~13)
このような律法と制度が、人々の自由と幸福を詐取しようとたくらむ悪人の手によって考え出されたと想像することが理性にかなっているだろうか?
外国人と敵の権利を保護することに関しては、モーゼの律法は、3200年も時代に先だっている。今日の最も文明的社会の律法といえども、その公平と博愛という点ではモーゼの律法に匹敵しない程である。 |
Laws displayed love for the stranger
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Ruth and Boaz
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他の国の者にも、この国に生まれた者にも、あなたがたは同一のおきてを用いなければならない。私はあなた方の神、主だからである。(出エジプト記12:49、レビ記24:22)
もし、他国人があなた方の国に寄留して共にいるならば、これをしえたげてはならない。あなたがたと共にいる寄留の他国人をあなたがたと同じ国に生まれた者のようにし、あなた自身のようにこれを愛さなければならない。あなたがたもかつてエジプトの国で他国人であったからである。(レビ記19:33、34)
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Animals were not forgotten, but were protected by laws of kindness.
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Animals were not to be unequally yoked. |
もし、あなたが敵の牛、またはロバの迷っているのに会う時は、必ずこれを彼の所に連れて行って、帰さなければならない。
もしあなたを憎む者のロバが、その荷物の下に倒れ伏しているのを見る時は、これを見捨てて置かないように気をつけ、必ずその人に手を貸してこれを起こさなければならない。(出エジプト23:4、5)
モーゼの律法では、口をきけぬ動物でさえも、忘れてはいない。動物虐待は、人間のそれと同様に厳しく禁じられている。脱穀をする牛に口輪をかけてはならない。
働く者はすべて食物を得る権利があるのと同様に、動物にもその権利があるからである。“牛とロバとを組み合わせて耕してはならない。”
牛とロバにはその体力と歩みに大差があるからである。また、動物の休息についても規定が設けられている。
あなたは、6日間仕事をし、7日目には休まなければならない。これはあなたの牛、およびロバが休みを得、また、あなたのはしための子、及び寄留の他国人を休ませるためである。(申命記25:4、22:10、出エジプト記23:12)
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Tithing
was voluntary.
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The Widow's Mite
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特権階級ではない祭司職
ある人々は、祭司職自体が利己的な制度であると主張するかもしれない。レビ族は、彼等の同胞である他の種族の各個人の年収の十分の一の納税によって生活を支えられていたからである。
しかし、これは不信の者に共通する不公平な判断であって、その制度における神の御旨の素晴らしさを誤解しているか、または知らないが故に述べられる言葉である。
事実、それが制定された当時の状況や、その支払いの方法を知らずに、ただ慣例として取り入れ、そして同じような制度を持つと主張している近代の祭司職によってさえ、しばしば誤解されている。
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The Priests had
no inheritance
in the land.
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The High Priest
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それは絶対的公平の上に立てられた制度であった。イスラエルがカナンの地を所有するようになった時、確かに、レビ族は他の種族と等しく土地の所有権を持っていた。にもかかわらず、人々の宗教上の目的を果たすため、様々な間に散らばって生活していたレビ族は、神の命令によって自分達の住む所以外には土地を所有しなかった。
土地が分割される前に、この禁止命令は9回も繰り返されたのである。その土地にかわるものとして何かが与えられねばならなかった。それが十分の一の税であった。だから十分の一の税は、合理的かつ、正当なものである。そればかりか、今、見てきたように十分の一の税は他の種族がレビ族に対して果たすべき義務であったとは言え、税として強制されることなく、自由意志による献金として払われるべきものであった。
これを払わねば罰せられるといいようなものではなく、完全に個人の良心に基づいて払われるものであった。これに関して人々に与えられた警告は、単に次のようなものであったにすぎない。
慎んであなたが世に生きながらえている間、レビ人を捨てないようにしなければならない。(申命記12:19)
町の内にあるレビ人を捨ててはならない。彼はあなたがたのうちに分がなく嗣業を持たない者だからである。(申命記14:27)
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No provision
was made
for honoring
the priests.
Protection for widows
and orphans
Wage protection...
Honor for
the elderly
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"Thou shalt rise up
before the
hoary head
and honor the face
of the old man,
and fear thy God:
I am the LORD."
Leviticus 19:32 |
彼ら自身の所有権を放棄し、その生活を同胞に頼らねばならないような規定をしたこのような制度が、自分の利益のみを求める野心的な祭司によって作られたと考えることが合理的であろうか?むしろ理性は、私達にその逆を教えてはいないだろうか?
この律法の著者は神ご自身であると考えなければ、解釈できないような点が多くあるが、その一つは祭司を尊ぶことに関し、いかなる特別な配慮もなされていないという事実である。
ペテン師が自分自身への尊敬を集めるために、彼らを虐待する者に対して厳罰を設けるようなところは一つとして見あたらない。それどころか祭司に対しては名誉も、暴力や侮辱からの保護も与えられてはいない。
それにもかかわらず、階級間の差別も個人の差別待遇も規定されていない。この律法のみが彼らの唯一の保護者なのである。もっと驚くべきことには、召し使い、外国人、老人達に対しては特別な規定がもうけられている。例えば
あなたは寄留の他国人を苦しめてはならない。また、これをしえたげてはならない。あなたがたも、かつてエジプトの国で、寄留の他国人であったからである。あたながたは、すべての寡婦、または孤児を悩ましてはならない。
もしあなたがたが彼らを悩まして、彼らが私に向って叫ぶならば、私は必ずその叫びを聞くであろう。そして、私の怒りは燃えたち、つるぎを持ってあなたがたを殺すであろう。あなたがたの妻は寡婦となり、あなたがたの子供たちは孤児となるであろう。(出エジプト22:21~24、23:9、レビ記19:33)
貧しく乏しい雇人は、同胞であれ、またはあなたの国で、町のうちに寄留している他国人であれ、それを虐待してはならない。賃金はその日のうちに払い、それを日の入るまで延ばしてはならない。彼は貧しい者で、その心をこれにかけているからである。そうしなければ、彼はあなたを主に訴えて、あなたは罪を得るであろう。(レビ記19:13、申命記24:14、15、出エジプト21:26、27)
あなたは、白髪の人の前では、起立しなければならない。また老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。(レビ19:32、レビ19:14も参照せよ)
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Scientific sanitation
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これらすべての規定にもかかわらず、祭司やレビ族や十分の一税に関しては、なにも特別な規定がなされていない。貧しく、しかも長い間、圧制の下にあった人々にとって最も必要な律法の衛生上の規定は、食べてよい清い動物、または食べてはいけない不潔な動物に関する規定と制限と共に驚嘆に価するものがある。
そして、これは、他の規定と共に、もし紙面が許すなら私達の興味深い研究資料となるであろう。この問題に関する最新の医科学的結論より進歩しているとまではいかなくとも決して遅れてはいない程である。また、モーゼの律法は、後の考察に待たねばならない模型的性格を持っている。
しかし、今までチラッと見てきただけでも、キリスト教の全制度の骨組みを成し、聖書の残りの部分に詳しく述べられているこの律法が、本当に知恵と正義を驚くまで十分に表わす圧倒的な証拠を備えていることが分る。その歴史的年代の古さを考慮する時には、特にその感を深くせずにはいられない。 |
All this is evidence
of a wise, just
and loving God.
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理性の光に照らして見れば、すべての人は、このモーゼの律法が悪人や下心のある者の作ではなく、むしろ、自然界が私達に教える神の性質と全く調和するものであることを認めざるを得ない。それは神の知恵と正義と愛を示す証しである。
更に、敬虔な高潔なモーゼは、この律法が彼自身の能力に帰するものであることを拒否して、それを神に帰している。このモーゼの性質から見て、またモーゼが偽証、偽善、虚言を人々に禁じていることから見て、モーゼ自身が自分の考えと律法とを神のものだと偽ったと考えることが出来るであろうか?また私達は、このことを記憶するべきである。
すなわち、私達が現在調べているのは、聖書の写本であること、だから、私達が今みてきたような、その完全性は、モーゼの後継者にも同様に適用されるということ、たとえ後継者の中に悪人がいて、人々のではなく自分自身の利益を求めたとしても、彼らが聖書の内容を変更したりしなかったことは、今日までその純潔を保っている聖なる著者自体が明らかに示している。 |
"Take, my brethren, the prophets, who have spoken in
the name of the Lord, for an example of suffering affliction and of patience." James
5:10
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Elijah Reproves King Ahab |
聖書の預言者
さて、今度は聖書の預言者の一般的性質と、彼らの証言に目を向けよう。驚くべきことには、ごく少数の例外を除いて、預言者は祭司職ではなかったこと、そして当時、彼らの預言は、一般に堕落しつつあった祭司達や盲目的崇拝者の目に好ましく写らなかったことである。
彼らの伝えた、神から人間へのメッセージの義務は、来たるべき刑罰への警告と、彼らが罪から清められ主の恩寵の下に帰る時にくる未来の祝福とを伝えることであった。預言者たちの体験は、ほとんどの場合、望ましい生活からほど遠いもので、ののしられ、投獄され、そして最後には拷問の死につけられたのであった。
また、ある場合には、神の預言者としての彼らの本当の性質は、彼らの死後、何年も経ってから認められたこともあった。(列王記・上18:4、10、17、18、19:10、エレミヤ38:6、ヘブル11:32~38を見よ) |
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The Prophets
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だから、私達は、エホバから直接霊感を受けて書いたと自称するこれらの預言的著者達のことばを語るのである。これに関連して、イスラエルに律法が与えられた時、律法は神からモーゼの手を通して人々に与えらられたのであって、そこには祭司が介在していないことを覚えておくとよい。(出エジプト19:17~25、申命記5:1~5)
更に、律法のおきてを破る者を見たすべての人は、その罪人を戒めることを義務づけられた。こうしてすべての人は、教えと戒めの権威を持つ者とされた。しかし、今日と同様、多くの人々は仕事のことに心を奪われ、無関心、不信心になり、ごく少数の人のみが罪人を戒め、敬虔を勧めることによってこの要求を満たした。これらの教師は、旧約聖書の中で預言者
と名づけられている。
預言者ということばは、
公に語る者
という意味である。また偶像崇拝の教師たちも、たとえば
バアルの預言者
というふうに、同じように呼ばれた。(Ⅰコリント14:1~6、Ⅱペテロ2:1、マタイ7:15、14:5、ネヘミヤ6:7、Ⅰ列王記18:40、テトス1:12) |