世々にわたる神の計画

 第1章
喜びの朝終る罪の夜

喜びの朝終る罪の夜

  ――悲しみの夜と喜びの朝

  ――真理を求める二つの方法

  ――本書に示されている方法

  ――研究の範囲

――信頼できる聖書研究と危険な推測の習慣との差

――預言の目的

――二つの見地から見た現在世界の宗教的状況

――エジプトの暗夜

――約束の虹

――義人の道は前進の道

――大いなる背教の原因

――宗教改革

――真の進歩を妨げる原因

――知識の完成は過去にではなく未来にある

 

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"Joy cometh
in the Morning."
Psalms 30:5

     本書のタイトル世々にわたる神の計画は、神の計画には預め神に知られた順序正しい前進があることを暗示している。神の啓示は、この見地に立ってのみ、美しく調和するものとして理解される。

    罪が許されている時代は、人類にとって決して忘れることのできない暗闇の夜であるが、義の太陽であるメシヤによって持たらされる正義と恩寵の輝かしい日は、嘆き、悲しみ、苦痛、病気、死などによって長らく苦悶し続けてきた時代に対比して、すべての人類に健康と幸福をもたらす。

夜はよもすがら泣きかなしんでも朝と共に喜びがくる。
(詩篇
305

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What is the world
waiting for?

    この苦痛に悶え苦しんでいる間にも、すべての人類は本能的に黄金時代と呼ばれるそのの到来を待ち望み、願ってはいるが、偉大なエホバの目的を知ることなく盲目的に暗中模索している。しかし、その日に関する最も高度な概念でさえ、その真実の来たるべき姿から、はるかにかけ離れた低いものである。

    偉大な創造者は、彼らが求め期待したものをはるかに超える豊かな肥えたものをもって祝宴をもうけ、その饗応にあずかる被造物を驚嘆させる。神の愛の長さ、広さ、高さ、深さを知って驚く被造物に対し、神は次のように語りかける。

 

わが思いは、あなた方の思いとは異なり、わが道はあなた方の道とは異なっている、天が地よりも高いように、わが道はあなた方の道よりも高く、わが思いはあなた方の思いよりも高い
(イザヤ558、9)

 


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The Sun of Righteousness reveals "present truth" now due.


   
本書によって著者は、一般に理解されているより尚一層、調和と美と道理にかなう過去、現在、未来にわたる神の計画を読者に紹介しようと務め、また、その成功を信じているが、それは全く著者の能力や知恵によるのではなく、これらの事を現在の真理として教えるものは、一千年期の暁に現われる義の太陽から発する光によるのである。

    そして今、現在、この真理は心の清い誠実な人々にのみ理解される。


What is a reasonable foundation for faith?


   
しかし、今日の懐疑論の流行は、誠実な人々をさえ真の宗教と真理の基礎をも疑わざるを得なくさせている。だから、すべての信仰の基礎である神の言葉を十分に研究し、未信者でさえも確信せざるを得ないような明白な証明を提示するように務めた。

  そのために、それが人々の理性に訴え、受け入れられるように、また聖書の教えが可能な限り、寸分の狂いもない正義の定義によって計られ、その基礎を築くように務めた。


Objective:

A plan consistent with God’s character and
harmonizing conflicting Scriptures


   
聖書はすべての聖なる良心に、終始一貫した調和のとれたものとして受け入れられるべきであると信じるので、自ら調和し、神の性質にも調和する聖書の教訓を示すことによって、本書は神の言葉を研究する人々の助けとなるべく出版された。

    聖書を神の計画の黙示と認める人々は、それが神の霊感によるものなら、その教えは全体として、神の性質に調和し、一致するものでなければならないということに疑いなく同意するであろう。

    真理探求者としての私達の目的は、神の啓示した、全体として完全に調和のとれた、その計画を知ることである。神の子供としての私達には、それぞれが必ず成し遂げられると期待する根拠がある。真理の霊が私達を真理に導くと、神が約束されているからである。(ヨハネ1613


Methods of study:

1. Investigate all
    religious beliefs
             or
2. Study God’s
    Word


   
研究者としての私達には、二つの取るべき方法がある。その一つは、種々の教会の宗派によって示されているすべての見解の中から、私達が真理であると考えるものを探し出す方法であるが、これは最限のない努力を要する。

  この方法をとった場合、私達が直面する困難は、もし私達の判断がゆがめられ、ねじ曲げられていたり、または私達の偏見がこれをとんでもない方向に曲げてしまった時――いったい、偏見にとらわれない人がいるだろうか?――正しい選択が妨げられ、私達は真理を否定して誤りを選ぶかもしれないということである。

  繰り返して言うが、この方法を取った場合、私達が見失うものは大きい。

  なぜなら、真理は、完全なる日までそれを探し求め、その光の中を歩む人にその輝きを増し、前進を続けるが、一方、種々の宗派の様々な信条は何百年も前に定められ規定されたものだからである。


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     また、その各々は、重要な点で他の宗派と矛盾しているので、その中に多くの誤りが潜伏していることが明らかだからである。この方法は、混乱と迷宮に私達を導くのみである。

  もう一つの方法は、私達の心からすべての偏見を排除すること、だれも神の言葉に現わされている以上に神を知ることは出来ないこと、熱心に誠実に指導を仰ぐ心の謙遜な人にのみそれが与えられること、を心に止めながら、偉大なる著者によって導かれ、神が備えた種々の助けを借りることによって理解を得る方法である。(エペソ41116


Is there truth
in tradition?


All religious teaching should guide the student
to Scripture

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Geneva Bible


  
この第二の方法による研究者を助けるために本書は書かれた。本書に引用されているのは、聖書の言葉を証明するために、この世の歴史的事実に論及する他は、すべて聖書の中から引用している。近代神学者の意見は重視せず、初代の父と呼ばれる人々の意見は顧みない。

  彼らの中には、本書に述べられていることと一致する意見を持つ人々も多いが、現在およびいつの時代でも、他の人が信ずるという理由である特定の教理を信ずることは、いかに信頼すべき人の意見ではあっても、誤りの元である。

  多くの良心的な人々が、誤りを信じ、これを教えてきたのは、明らかにこれが原因であったといえる。(使徒行伝 269

  真理探求者は、自分の器から伝統という泥水を捨て、神の言葉である真理の泉から清水を汲んでこれを満たさねばならない。また、真理探求者をその泉へと導かない教えは、いかなる宗教的教訓であろうと重んじられてはならない。

 聖書全体とその教えをごく一般的に急いで調べることでさえ、本書にとっては膨大な仕事であるが、現代の急速の世の中の動きに合せて、許される限り、簡単明瞭に真理の重要性を著そうと務めた。


Thorough orderly study is necessary in the science
of Divine revelation


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聖書研究に本当に興味を持つ人にとって、単に本書にざっと目を通すだけでは無意味であって、ここに示されている聖書的裏付けによって神の計画の力と調和を汲み取っていただきたい。

  ここでは、特にあらゆる読者層が、真理と一般的神の計画をしっかりと把握することができるように真理の様々な断片をわかり易い言葉と順序で提示するように務めた。

  いかなる種類の科学を研究する場合にも秩序だった綿密な研究方法が要求されるが、神の黙示を研究する場合には、特にそのような方法が要求される。

  本書は、神の啓示した真理に関する論文であるのみならず、他のどんな書物とも異った見地から真理を研究していくという事実から、一層の綿密さが要求される。

  本書では、一般にキリスト者がおろそかにしている多くの問題――中でも主の再臨、新旧約聖書の預言と象徴――をあえて取り扱うことを辞さない。聖書の教えの最も重要な点を見のがし、または省略していかなる神学も一切かえりみるべきではない。

  しかし、歴史的既成事実によって、聖書の預言を熱心に真面目に研究しようとする人と、無謀な学説とあいまいな空想からなる推測によって研究しようとする人との間には、大きな差があることを認めない訳にはいかない。

  後者の危険に陥る者は、預言の研究者というより、自らが預言者となってしまうのである。


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    黙示された神の目的を敬虔に研究することほど貴いことはない。――これは、御使いたちもうかがいみたいと願っていることである。(ペテロ112

  神の知恵が、現在過去、未来におよぶ預言を与えているという事実そのものが、マタイ伝5章だけで人を救うには充分である と言って神の言葉の研究を怠っている人々の愚かさに対する非難である。預言は単に未来に対する私達の好奇心を満たすにすぎないと考えるべきではない。


Object of prophecy:

To acquaint
the child of God
with his Father’s plans


   
その目的は明らかに神が子供たちに父の計画を知らせ、その計画に子供たちの興味と共鳴を参加させ、そして神の見地から見た現在及び未来に子供の考えを及ばせるためである。このようにして主の業に興味を持った人は、僕としてかみに仕えるだけではなく、子であり相続人として、精神と理解をもって神に仕えるであろう。

  未来に起こるべき事柄の啓示は、現在の勢力への有力な武器となる。注意深い研究の結果は、信仰を強め、清い生活への刺激となることはまちがいない。

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    罪とその結果から世界を回復する神の計画を知らず、名ばかりの教会が現在の状態において、神の計画を遂行する唯一の代行者であると誤解している間にも、二千年にもわたって福音が宣べ伝えられてきた世界の状況は思慮ある人に痛切な疑問をおこさずにはいわれない。そして、このような疑問は、真理以外の不完全なものによって容易に乗り越えられるものではない。

  事実、思慮深い観察者にとって、次の二つのうちのいずれかを認めざるをえない。

Is the church’s mission
to convert the world?

    一つは、現在の教会の使命は全世界を福音に帰依させることであると考えるのは大きな誤りであるということ、もう一つは、神の計画は全くの失敗に終ったのだということである。

  私達は、いったいどちらを取るべきであろうか?多くの人々が後者、すなわち神の計画は失敗に終ったとする見解に立ち、今後も更に多くの人々がそれを受け入れ、陰に陽に不信仰を増長させることは疑いない。このように堕落していく人々を援助することが、本書の書かれた目的の一つである。

 

 

宗教別に分類した実際的、相対的人類の数


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  Heathen

Moham- 
medans 
Jews    Roman
Catholics
Greek
Catholics
Protes-
tants
856
millions
170 
millions
8
millions
190
millions
84
millions
116
millions

                                      
                                                                                                

プロテスタント(1億1千六百万人) 116 millions  Protestants
ギリシャ正教(8千4百万人) 184 millions  Greek Catholics
ローマカソリック(1億9千万人) 190 millions  Roman Catholics
(8百万人) ユダヤ教 8 millions  Jews
回教(1億7千万人) 170 millions  Mohammedans
異教徒(8億5千6百万人) 856 millions  Heathen

 

 

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Relative Percentages
of World Population
Classified According to Religion

YEAR: 1881 1981
Heathen 60.5% 63.9%
Mohammedan 12% 13.3%
Jews 0.5% 0.3%
Roman Catholics 13.0% 13.1%
Eastern Orthodox 6.0% 1.7%
Protestants 8.0% 7.7%

Non-Christian Population in 1881 - 72.5%
Non-Christian Population in 1981 - 77.3%

 

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Nearly 2/3 of the world’s population are still heathen

 

 

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    次項に一つの表を示すが、これはロンドン伝導協会によって公表され、後にアメリカの長老教会の婦人伝導協会に採用されたものである。題して外国伝導のための黙訴であるが、それは、私達が救われるべき唯一の御名に関する世の暗黒と無知という悲しさを物語っている。

 “警告者The Watchman)と題するシカゴのY.M.C.A.が出版した機関誌にもこれと同じ表が掲載され、次のような解説がつけられていた。

   

世界の霊的状況に関するある人々の観念は、霞のように曖昧で不明瞭である。国内外における盛んな伝道活動のリバイバルは、多方面に及び、世界の国々か次から次へと福音を知らされ、それに伴って多額の伝道費がつぎこまれ、地上のいたるところで正しい福音伝道の努力が払われていると考えられる。

  しかし、今日、世界の人口は14億2千4百万人と見積られ、この表によれば、過半数、三分の二近くがいまだに異教徒であって、残る人々もほとんどはモハメッド教の信者、または実際にはキリストの福音を教えているとは言いがたいキリスト教化された偶像崇拝教会のメンバーであるにすぎない。

  名目的プロテスタント信者数、1億1千6百万人といっても、ドイツ、イギリス、アメリカではそのほとんどが不信仰の状態に陥っている者、迷信の虜になっている者、極端な無知の中に閉じこもっている者などである。

  一方8百万人のユダヤ教徒は、いまだにナザレのイエスを否定し、3億人以上が堕落信者であり、1億7千万人以上がモハメッドの前にひざまずき、その他、残りの人類のほとんどは今日に至るまで木石崇拝者、先祖崇拝者、または英雄崇拝者であって、これらの人々は、いずれにしても、すべてのものを支配し祝福する神ではなく、神の造った被造物を崇める人々である。これだけで思慮深いキリスト者の心を痛めるには十分ではないだろうか?

 

Budda2A.jpg (5870 bytes)     実に悲しむべき表である。ここでモハメッド教徒、ユダヤ教徒、異教徒の区別はあっても、一様にキリストを知らないという点では同じである。一部の人々は、この表を見てキリスト者の割合を悲観し、これはひかえ目すぎると考えるかもしれないが、私達はむしろ反対の意見を抱いている。

  この表は、名ばかりのキリスト者をむしろ飾り過ぎている。例えば、1億1千6百万人がプロテスタント信者とされているが、これは本当のメンバーの数をはるかに超えるものである。

  恐らく、成人のメンバーとして数えられるのは1千6百万人ぐらいであろう。

  そのうち、肉によらず、霊によって歩く者、キリスト、イエスにあって清められた者である小さき群の数は、百万人と言っても言いすぎるくらいであろう。

  また一般に教会のメンバーとして数えられている会員数の多くが幼児、子供であることを思いおこさねばならず、この傾向は特にヨーロッパの国々において著しい。

Is there hope
for past multitudes?
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     しかし、この表は人類の堕落を示す最悪の図ではない。これは現在の世代のみを示しているにすぎず、過去6千年の間に生まれたすべての人々が同じ無知と罪の中に閉じ込められた事実を考える時に、その光景のいかに暗黒であるかが分るのではないだろうか。その人口を考える時、確かにこれは恐ろしい表である。

今日存在する種々の信条は、私達が救われるべき人の名を知らずにいるこれら何10億という人類が永遠の拷問への道を直進すると教えているばかりでなく、ごく少数の聖徒を除いて11千6百万人のプロテスタント信者のほとんどは同様の運命をたどると教えている。

  その様な恐ろしいエホバの計画と目的を信ずる人々が、その伝道事業に熱心であること、そして彼らがそれに激怒しないことがむしろ不思議である。この様な信仰を持ち、その結論を知ることにより、人生の喜びのすべては奪われ、自然界のすべての輝かしい光景も暗雲につつまれてしまうのではないだろうか。


What is the fate
of the heathen?

    私達が正統派の異教徒の運命に関する見解を批判しているのではないことを示すために、外国伝道のための黙訴と題するパンフレットの中から一部を引用する、その結論として最後に書かれている文章は、次のようなものである。外国における無数の人々を福音教化せよ。10億の人口中、毎月10万の魂がキリストを知らずに死んでゆく。

人間の信条から見た、これらの見解が暗黒の様相を呈しているのに対し、聖書は輝かしく明るい視界を私達の前に広げている。それこそ本書において示そうとしている目的に他ならない、神の言葉によって、私達は神の偉大な救いの計画が決して失敗に帰するものではないことを信ずる。心悩ます神の子にとって、預言者・イザヤが預言したこの暗黒の状態と、それをいやす方法を知ることは大きな慰めである。

見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。もろもろの国はあなたの光に来、もろもろの国はのぼるあなたの輝きに来る。(イザヤ60:2,3)この預言の中で、暗きはもろもろの国はあなたの光に来るという約束の虹によって照り輝く。

  この世に存在する悲惨と暗黒、真理の遅々とした進歩は、


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     この世に存在する悲惨と暗黒、真理の遅々とした進歩は、ただ教会にとって一種の謎であるばかりでなく、世界そのものがすでにその状態を感知している。その暗黒は、エジプトをおおい包んだ暗黒のように、その中にいるものが感じ得る暗黒である。

 それを裏付けする一つの例として、次のフィラディルフィアジャーナルから切り抜いた詩をを読んでいただきたい。様々な信條の衝突によっておこされた疑惑と暗黒は、神の言葉に導かれる真理の光さえも、この作者の心からそれを一掃することが出来ない程である。

 

命!偉大なる神秘!誰が言い得よう

なんおために神はこの貧しい肉体を造り給うたかを?

その力強い御手の業によって形づくられた

この知性、肉体、魂、そして頑強な意志は

生まれ、しかし、必ず死ぬ

そして、どこへ、おお!どこへこの息は去るのか?

生きて死に、苦しみを味わった

数えきれぬ群衆のたった一人さえ

その偉大なる御業を伝えるために戻っては来ない

その行く先は、あなたも私も行くべき所

おお神よ!私は願う

私達の道を照らし、導く新しい光を

信仰によってではなく、はっきりと目に見える形で

この暗き夜の雲を追いはらい給え

疑惑と恐怖とつまずきの不安を

私達の幸福をそこなうこの思いを

この休息のない心は大胆不適にふるまい

きしめく党派宗派によって教えられ

規則によって理性に足かせをかける

その日の教理を否定する

あなたの御業のままにあなた自身を知らしめ給え

この巨大な計画の中での

あなたと共にいるべき場所と、私達のなすべき務めを

無限の創造者と人間の

視界をさえぎるこの幕を上げ給え

もう一度光あれと言い給え

あなたの王座の秘密を現わし給え

私達は暗黒の中で、知られざるものを求めてさまよう

 

しかし、私達はこれに次のように答えることができる――

閉ざされた命の神秘は解かれ、間もなく私達は言うであろう。

なんという喜びを神はこの貧しい肉体に与え給うたかを

その力強い御業によって形づくられた

この心と意志に神のかたちで印を押し

死ぬことなく生きる――いや、死んでも再び生きる

地から地へ宣告を受け継いでも

なぜなら、生きて死に、最も苦しみを味わった

すべての力ある軍勢のうちの一人が

よみがえり、そして神の偉大な構想を証したから

その行く先は、あなたのもの、そして私のもの

彼の言葉はその新しい光を現わし

私達の道を照らし導く

今は信仰によるが、目に見えるように確実に

この暗き夜の雲を追いはらい

疑惑と恐怖とつまずきの不安を

私達の幸福をそこなうこの思いを

主よ、今この心は大胆にふるまい

きしめく党派宗派によって教えられ

規則によって理性に足かせをかける

今日の教理を否定する

あなたの御業のままにあなた自身を知らしめ給え

この巨大な計画の中で

あなたと共にいるべき場所と私達の果たすべき務めを

無限の創造者と人間の

その幕は

天の光の中を歩む人に音もなく上がり

あなたの王座の神秘をつつまず現わす

世々にわたり隠されていたが、今仰ぎ見る知られざるもの

 

 

 

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Lamplighter

    ここに示されているような祝福が、神の目的の展開と神の言葉の理解を通して、今世界に臨みつつある。本書はその祝福と啓示の一部であることを信ずる。

  人間の空論から離れ、神が私達に与えた理性によって聖書研究に専念する者は、約束の虹が天にかかるのを見い出すであろう。しかし、信仰を持たない者がこの真理を理解し得ると考えるのは間違いである。詩篇の詩人は語っている。

 光は正しい人のためにあらわれる(詩篇9711)神の子のためには、その道から闇を取り除く燈が与えられる。あなたの御言葉は、わが足のともしび、わが道の光です(詩篇119105)しかし、それは正しい者のみの道であって、正しい者の道は、夜明けの光のようだ。

  いよいよ輝きを増して真昼となる418)しかし、実際に正しい人はいないのである。義人はいない、ひとりもいない。(ロマ310)ここで言う正しい人とは、信仰によって義とされた人のことである。

  その増加し加わる光の中を歩み、現在展開されている神の計画ばかりでなく、来たるべき未来をも知ることが出来るのは、この種々の人々にのみ与えられている特権である。その一人一人の道が輝かしいものである一方、この言葉はグループとしての義人に特に適用されているのも確かである。

Patriarchs, prophets, apostles and saints
have walked in increasing light

    族長、預言者、使徒、そして過去及び現在の聖徒はみなこの光の中を歩んできた。そしてこの光は、現在を超えて全き日に至るまで輝きを増し続けるであろう。

  それは一本の途切れることのない道であり、その途絶えることなく増し加わる光は、来たるべきものを照らす神の言葉である。

  だから、この約束の成就を信じて正しき者よ、主にありて喜べ。多くの人々は不信仰と無関心のためにその増し輝く光を得ることなく、光の中を歩まず暗黒の中に座している。

教会を真理に導く神の霊は、聖書の言葉をもって私達に示す。私達は聖書の他に何物をも必要としない。それがキリストイエスに対する信仰によって救いに至る知恵をあなたに与えうる書物であるからである。(テモテ314

"The morning cometh"
– for all the world

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    暗きは地をおおい、闇は諸国民をおおうは未だに真理にはちがいないが、世界がいつまでもこの状態におかれる訳ではない。朝が来ることが確かだからである。(イザヤ2112

  今、太陽が正しい者の上にも、正しくない者の上にも輝くように、1千年期には、義の太陽が世界のすべての人々のために輝きわたり、暗い中に隠されていることを明るみに引き出す。コリント45)その時、悪に毒されているものは取り去られ、生命、健康、平和そして喜びがもたらされる。

Jewish hope

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    過去を振り返って見ると、過去にも光はあったが、弱々しいものであったことが分る。

  過去の約束は薄暗くはっきりしていない。アブラハムやその他の人になされた約束や、肉的イスラエルの儀式や律法に象徴的に示された約束は陰影であって、神の素晴らしい恵みに満ちた計画のごく漠然とした概念を与えるにすぎない。

  私達がイエスの日に近づくにつれて、光はその輝きを増すのである。それまで、イスラエルの期待の最高峰は、神がイスラエルをその敵から救い出し、地上の選ばれた国としてこれを高め、これに力と感化力とを与えて、地上のすべての家族を祝福する神の計画の代行者としてイスラエルを用いるということであった。

  しかし、彼らに与えられた神の王国の相続権は、彼らが期待していたものとは余りにもかけ離れた条件で与えられるので、ごく少数を除いてほとんどがこれによって盲目にされた程であった。

  そして、神の計画の進行の過程で、メッセージが広められ、約束の王国への招きが信仰によってアブラハムの子孫であり、従って約束の相続者であると認められるすべての人に開らかれた時、彼らの盲目と反逆とはその度を一層強める結果となった。

Church’s hope

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    しかし、イエスの教えた福音が、ペンテコステの後、教会によって理解されたが、その内容は、世界に対する神の祝福は永続的性質のものであり、そのためには、王国は霊的存在でなければならず、またユダヤ人と異邦人の両方から選ばれ、霊的性質と力を与えられたイスラエル民族すなわち小さき群から成るものである。

  このようにして、私達は、イエスが福音を通していのちと不死とを明らかにしたことを知るのである。(テモテ110)以来、イエスの預言によって、イエスの日は、日増しにその光を増し加えている。

わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは、今はそれに堪えられない。

 けれども、真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう……そして来たるべきことをあなたがたに知らせるであろう。(ヨハネ161213

Clergy developed

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    しかし、その時が来た時には、使徒たちはすでに世を去り、多くの教会がそのともしびを無視して、人間の教えを仰ぎ、その指導者たちは学位や職務を帯び、プライドを高くして神の遺産の上に君臨し始めていた。

  それから次に、聖職者と呼ばれる特殊なクラスが登上し、神の言葉以外に、信仰と行いとを導く正当な指導者として自他ともに認める人々がおこってきた。そして、時と共に、誤り易い人間の教えを尊重し、誤りのない神の言葉を無視することによって、法王制度というものが発達した。

Reformation –
a bold and blessed strike for liberty and the Bible

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Martin Luther
at Diet of Worms

    真理をおろそかにすることによってもたらされる悪の結果は実に恐ろしい。すべての人が知っているように、教会および文明国がそろってその制度に隷属し、人間の伝統と信条の崇拝者となった、この奴隷制度から自由と聖書を解放しようとしておこされた勇敢な運動が、宗教改革として世に知られているのである。

  神は、その言葉を守る勇敢な戦士を立ち上がらせた。ルーテル、ツウィングリー、メランクトン、ワイクリフ、ノックスなどである。彼らは法王制度が聖書にかえて教会の法令や信条をかかげている事実をあげ、その教えや行いの誤りを指摘し、それらが神の言葉に対して真理とは相反する伝統の上に立てられたものであることを示した。

  彼らは、法王制度に抗議し、神の言葉が信仰と行いとを正す唯一の規準であることを主張したので、プロテスタント(抗議する者)と呼ばれた。

 

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Martin Luther
1483-1546, Germany

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William Tyndale
1484-1536, England

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John Huss
1369-1415, Bohemia

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John Wycliffe
1324-1384, England

 

 

 

 

 

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Noah Building
the Ark

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Noah, Preacher of Righteousness

    宗教改革当時の信仰深い人々は、その時、輝いていた光の中を歩んでいたものの、以来、プロテスタントの進歩はなく、その光を歩むかわりに、自分達の好みに合う指導者につくことを望む以上には多くを望まなかった。

  彼らは、持っている少しの真理さえも、母教会から継承する多くの誤りのために失い、進歩を阻害された。ほとんどのキリスト者は、昔、定められた信條に迷信的尊敬を払い、宗教改革者によって明らかにされた以上に神の計画を知ることは出来ないと教えている。

    この誤解によって生じた弊害は大きかった。その時、誤解の砂礫の中から重要な真理のうちわずかなものしか回復しなかったという事はさておき、真理には常に自らを示そうとする特別な性質があるにもかかわらず、当時のキリスト者たちは、彼らの信条の壁に遮られていたのである。

  例えば、ノアの時代には、洪水が来るということが、光の中を歩くすべての人々に信ずべきこととして要求されていたが、これはアダムやその他の人々には全く知られなかったことである。今日、洪水のことを教えることは真理ではない。

  今日には、現時点で輝きを続けている真理があり、もし私達が、ともしびを手に光の中を歩くならそれを見るのである。しかし、数百年前にすでに現われた光だけをもって、これを現在の光と考えるならば、その程度に応じて私達は暗黒の中にとどまるのである。




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神の言葉の倉庫

  神の言葉は、光の道を歩む飢えた巡礼者にとって、食料の大倉庫である。そこには、幼児のためのミルクがあり、成人のための肉があり、(ペテロ22、ヘブル514)そればかりではなく、異った時と場合に相応した食物がある。

  イエスは、忠実な家令は信仰の家族のために時に応じて新しいものと古いものとをその倉から取り出すべきであると言っている。(ルカ1224、マタイ1352)教派的信条の倉庫からこのようなものを取り出すことは不可能であろう。

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Tyndale Bible

    古いものや、良きものを取り出すことは出来ても、新しいものを取り出すことは出来ない。種々の宗派の信條の中に含まれている真理は、余りにも隠され、誤りと混ざり合わさっているために、その美と真の価値を識別することが出来ない程である。種々の信条は断えず矛盾し衝突し合っている。

  そして、その各々が聖書を根拠としていると主張しているので、思想の混乱と明らかに見える矛盾は、あたかも神の言葉から来るかのように思われている。聖書は、どんな音色もかなでることができる古いバイオリンであるという諺はここから生まれたのである。

"...be ready always to give an answer to every man that asketh you
a reason of the hope that is in you with meekness
and fear."
I Peter 3:15

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    この諺は、なんとよく今日の私達の不信仰を表わしているのではないか。その不信仰は、神の言葉と性質が人間の伝統によって曲解されることと、知性が発達し、もはや盲目的、迷信的な尊敬によって同胞の意見の前にひざまずかず、むしろ私達の中にある希望について理由を要求するようになったこととによって生ずるのである。

  神の言葉を忠実に学ぼうとする者は、常に自分の信仰に根拠を与えることが出来なければならない。神の言葉だけが、人に知恵を与え、教理、教育などのために有益となるものである。それによって、神の人があらゆる良いわざに対して十分な準備ができて完全にととのえられたものになるためである。ペテロ315テモテ31517

  この倉庫だけが古いもの新しいもの両方を無尽蔵に供給し、時に応じた食物を家族に与えることが出来るもでのある。正しい者の道は夜明けの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。という聖句を信じる人はだれひとりとしてその完全な日がルーテルの時代に到来したと考えはしないであろう。それならば、私達は夜が明け、明星がのぼってあなた方の心を照らすまでともしびをかかげてそれに目をとめていなければならない。(ペテロ119

 

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    だから、私達は光の中を歩まねばならない。そして前進を続けなければならない。さもなくば、止まることのない光は、私達を通り越して私達は暗闇に取り残されてしまうのである。

  多くの人々にとっての困難は、彼らが座りこんでしまい、光の道を歩み続けないことである。コンコーダンスを手に取り、座る立つという言葉の出ている聖句を調べ、次に歩く走るという言葉の出ている聖句とそれとを比較してみると、そこに大きな差があることがわかるであろう。

  そこには、暗きに座する人”“あざける者の座にすわり罪の道に立つ人に対して、光の道を歩み”“賞与に向って走ると出ている。(イザヤ427、詩篇11、ヘブル121

"All scripture
is given by inspiration of God,
and is profitable
for doctrine,
for reproof,
for correction,
for instruction
in righteousness."
II Timothy 3:16

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    知識の完成は過去ではなく未来の事実にある。そして、その未来はもうそこまで来ている。もしこの事実の認識がなければ、私達は神の計画の新しい展開を知ることも期待することもできない。

  確かに私達は現在、未来に関する知識を求めて預言者や使徒の言葉に頼ることはあるが、それは預言者、使徒たちが私達よりももっと深く神の計画と目的を知っていたからではなく、神がその計画に関する真理を私達及び全教会に伝達するために彼らを代弁者として用いたからである。

  この事実は、使徒たちによって十分に証明されている。パウロは、神があらかじめ定めてはいたが、時が満ちるまで明らかにされなかった計画を、特にキリスト教時代の信徒たちが、高い召しに対し、心の目を開くために、その御旨の奥義をキリスト教会に明らかにされたと語っている。(エペソ19101718、 346)これは、預言者たちも、御使いたちも、その預言の意味を知っていなかったことをはっきりと示している。

  ペテロは、彼らがその意味を尋ね求めた時、神は、その預言の真理は彼らのためではなく、キリスト教時代の私達のものであることを示されたと言っている。また、教会が更に深い神の計画を知るために、尚一層恵みを待ち望むようにと勧めている。((ペテロ11013


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Apostle Peter

 

    イエスは教会をすべての真理に導くと約束されたが、その展開は徐々になされることが明らかである。使徒の時代には、教会は法王制度の下に発達した多くの誤りから免れていたとは言え、初代教会が今日、私達が知るように深く明瞭に神の計画を知っていたとは想像できない。

  しかし、預言者の言葉と同様、使徒の著述は神の霊に導かれて書かれてはいるが、異った程度に神の計画への洞察を持っていたことも確かである。

  その知識の差を示すためには、パウロを除いてペテロをはじめとする他の使徒達が、福音が異邦人に述べ伝えられ始めた時に、いかに動揺したかを思い出すとよい。(使徒行伝10281113、ガラテヤ21114)預言者の言葉と神の過去の御業と直截に与えられた啓示によるパウロの確信と、ペテロの薄信との対比には驚くべき差がある。

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Apostle Paul

 

    明らかに、パウロは他の使徒達より豊富に啓示を与えられていた。パウロは、これらの啓示を教会に知らせることも、また他の使徒達に明確に十分伝えることも許されなかったが、(コリント124、ガラテヤ22)私達はパウロに与えられた幻や啓示の全教会に対する価値を知ることができる。

   なぜなら、パウロは彼が見たものを語ることも、彼が知っている来たるべき時代に関する神の奥義を書きあらわすことも許されなかったにもかかわらず、彼が見たものは彼の言葉に力と意味の深さと明暗とを与え、私達がその後におこった事実、預言の成就、霊の導きによって、初代教会より更に十分に理解することが出来るようになったからである。

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Apostle John

   今までに述べたことに確証を与えるものとして、AD96年頃書かれた聖書の最後の書、黙示録を思いおこす。その最初の言葉は、その書物が以前には理解されなかった事柄の特別な黙示であると伝えている。

  このことから、神の計画が少くともこの時までには十分に啓示されていなかったことが確証されている。そればかりか、現在に至るまで、その名が暗示するように開かれていない黙示なのである。初代教会に関する限り、恐らく一人としてこの書物を理解した者はいなかった。

  その幻影を見たヨハネ自身でさえ、自分が見たものの意味を恐らくは悟らなかったであろう。彼は、預言者であると同時に使徒であった。使徒としてはその時に応じた食べ物を理解し、そして教え、また預言者としては未来に必要な食べ物を供給する事柄を言い表わした。

 

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    キリスト教時代の間に、一部の聖徒はこの象徴の書を調べ、教会の未来を知ろうとしたが、その教えの一部分であろうと理解した人々は、疑いもなくさいわいな人々であった。

(黙示録13)そのような人々に対して、この書物は開かれ続けた。そして宗教改革の時代には、ルーテルに法王制度というものが果たして使徒のとなえた反キリストかどうかを決定する重要な助けとなった。今日、私達が見る法王制度の歴史は、その預言の一部を大きく満たすものである。

  このようにして、神はその真理を徐々に開き、その恵みの豊かさを現わし、そして教会史上のいかなる時代にも増して今日その光は輝いている。

そして私達は更に新しい美を見、更に光は輝きを増すであろう。

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