"...the LORD shall
arise upon thee, and His glory
shall be seen
upon thee."
Isaiah 602 |
前数章において私達は、自然の光とその黙示が次のような事実をはっきりと示していることを知った。すなわち、知恵と恩慮に富む全能の義なる神がすべての物の創造主であること、主は比類するもののない、義に満ちたすべてのものの主であること、すべての生物及び無生物は、その創造主の支配下にあること、聖書はその創造主の性質と計画とを主が人間に現わそうとする範囲内において啓示するものであることを知った。
この聖書から、私達は、現在一部の被造物の間で、悪が優勢であるけれども、それは主の賢明な終局的計画のために、限られた時間内にのみ、限られた範囲内で、主の許しの下に存在していることを学んだ。
私達はまた、現在、闇が地をおおい、暗黒が人々をおおっているけれども、神の光は来たるべき時に、すべての暗闇を追い払い、全地は栄光で満ちるであろうということを学んだ。
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Gods
great plan required ages for its accomplishment -- another age
will be required to complete it. |
神の偉大な計画は、それを完成するためには、これまでに数時代を要し、更に未来にもう一つの時代を要するものであること、また、すべての過去の暗黒の時代には、神がその被造物を見捨てたと思えるような時でも、彼らを祝福する神の計画は、人間の目からその奥義が隠されていたとはいえ、沈黙のうちに少しずつ遂行されつつあったということを知った。
私達は、また、この世に明らかにされようとしている日(または時代)が、世界の裁き、または審問の日であること、かつてのすべての準備は、人類が個人的に永遠の命への審問にかけられる時に、一般人類に可能な限り、有利な機会を与える神の目的であることを知った。
6000年という長い時間は、人類を多いに増やし、悪の支配下における彼らの戦いと苦しみは、彼らがさばかれる時に、彼らに大きな利点となる経験を与えてきた。全体としての人類は、6000年もの間、苦しむことを許されてきたけれども、個人としては、彼らは短い年月を走るにすぎない。
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While God seems
to have forgotten his creatures,
his plan for their future blessing
has been silently, but grandly, working out. |
人類が、この必要な訓練を経験している間にも、定められた時に神は御子を人類のために送り、また人類の大多数が、へり下った人間の形をとった救い主を認めず、主に油注がれた者がこのようにして彼らの救いのために来たことを信じない間にも、神は心を神に注ぎ、神の約束を信じる人々の中から、過去の時代の間に、神の国の誉れ――神の計画の実行に参加する名誉――を受け継ぐべき二つの集団を選びつつあった。
この二つの選ばれた集団が、神の国の二つの部分を形成するのである。
また、この王国が間もなくこの地上に確立されること、賢明な義の統治下に、地上のすべての家族は、永遠の命に価する者として自分自身を証明するための絶好の機会を与えられ祝福されること、キリストの貴重な血による救いの結果として、聖なる大路が開かれること、主にあがなわれた者(すべての人類――ヘブル2:9)がそこを歩むこと、その道は、清く聖なる者となることを望むすべての人にとって、比較的容易な大路であること、すべてのつまづきの石は集められ、すべてのわな、誘惑、落とし穴は一掃され、完全性と永遠の命に向ってこの道を歩むすべての人々は祝福されること、などを私達は預言者から学んだ。
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世界の判事(または支配者)として、エホバが定めたキリストが再び来る――へり下った形で再び来るのではなく、力と栄光に輝いて、世界を再び救うためにではなく、義をもって世界を裁く(支配する)ために――まで、この裁き(または支配)が始められないことは明らかである。その判事が席につき、定められた時に法廷が開始されるまでは、たとえそれ以前に周到な準備の仕事があるとはいっても、審問を始めることは出来ない。
そして、時が来ると、王が栄光の御座に座り、その前にすべての国民が集められ、聖なる書物が開かれ、主を知る知識で地が満たされる。彼らは、その時代の間に、それぞれの仕業に応じて裁かれるであろう。
王は、すべての恵みと助けを与えられる好条件の下での彼らの行いに従って、彼らのうちのだれが来たるべき栄光と喜びの世々に永遠の命に価いするかを決定するであろう。(マタイ25:31、黙示録20:11~13)
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A
glad day
for the world,
will be when the Church becomes the Bride
"They shall not hurt nor
destroy
in all my holy mountain
for the earth
shall be full
of the knowledge of the LORD,
as the waters
cover the sea."
Isaiah 119 |
こうして、地上に神の国を建てるためのメシヤの再臨は、すべてのクラスに属する人間が希望すべき出来事であり、またそれが十分に理解される時には、すべての人の心に喜びをもたらす出来事であることが分る。
それは主の、小さき群、献身した聖徒たちが、もっとも歓喜する日である。それは、嫁ぐ処女である教会が喜びを抱いて花嫁、すなわち小羊の妻となり、荒野からやって来て、小羊の妻となり、荒野からやって来て、最愛の者の腕によりかかり、栄光ある遺産を受け継ぐ喜びの日である。
それは真の教会が、その頭と共に栄光に輝き、神の権威と力を授けられ、すべての物の完全な回復をもたらす偉大なる仕事を世界のために開始する日である。それはまた、世界にとって、偉大なる悪魔が縛られ、6000年の間、人類を拘束していた足かせがはずされ、水が海をおおっているように、主を知る知識が全世界をおおう喜びの日である。
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"And when these things begin to
come to pass, then look up, and lift up your heads; for your redemption draweth
nigh." Luke 2128
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これらの事柄の知識と、それがもうそこまで来ているという証拠は、すべての人に強力な感化を及ぼすはずであるが、特に神性という賞与を探し求めている神の献身した子たちにとって、そうであろう。
私達は、救いが近づいていることを知り、それを喜ぶ人々に対して、すべての重荷と障害物をかなぐり捨て、すでにスタートした競技を忍耐強く走りぬくように勧める。すべての弱さは十分に主キリスト・イエスがささげたあがないの功績によっておおわれ、犠牲と自己否定は救い主を通して、しかも、それによってのみ、神に受け入れられるものであることを知る私達は、自分と自分の避けられぬ弱さと不完全性から目をそらすべきである。神が私達に約束し、それを使うことによって私達が勝利者となることが出来る十分な力は、神の言葉の中に与えられていることを忘れてはならない。
それは、神の計画と性質にかかわる知識と、私達もそれにあずかるかもしれない条件にかかわる知識とから来る力である。ペテロはそれを表現してこのように言う。神と私達の主イエスとを知ることによって、恵みと平安とがあなたがたに豊かに加わるように。
命と信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖な力によって、私達に与えられている。それは、ご自分の栄光と徳とによって、私達を召されたかたを知る知識によるのである。また、それらのものによって、尊く、大いなる約束が私達に与えられている。それは、あなたがたが世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるためである。(Ⅱペテロ1:2~4)
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If you HAVE
consecrated all your time,
all your talents,
to the Lord
the question is, How much of it ARE you giving? |
しかし、神が天的賞与を目差して走る者に与えようとしているこの知識と、この力を得ることは、確かに献身の誓いへの私達の誠実さを試すものである。あなたは、あなたの時間と才能のすべてを主に献げる決心をした。
今、問題となるのは、あなた方がそのうちのどれだけを神にささげているか?ということである。今でも、あなたの献身の契約に従って、すべてを喜んで捨てることが出来るか?神の大事業を行い、神の計画と手段とを受け入れるために、自分の計画、手段、自分及び他人の方法論を捨てることができるか?
あなたは、これを行うために、この世的な友情や社会の絆を喜んで犠牲にすることができるか?
あなたは、真の献身者の心を励ますこの栄光ある問題の研究のために、それが自己否定を要するものであるという覚悟をもって、他のことに費やすべき時間を喜んでさくことができるか?献身に際して、もしすべてがささげられなければ、または本心からささげられなければ、隠された宝である神のことばを探し求め、獲得するために必要な時間と努力とを惜しむようになるであろう。
それは、信仰のすべての試練のために、他のいかなる時代よりも、現在(千年の夜明け)に必要とされる力なのである。
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The
truth will beget such a love for God and His plan
that it will become the all-absorbing theme of life. |
しかし、意志を献げるとこは、聖書の学びに必要な時間とエネルギーとを献げることで終るわけではない。自己を犠牲にする誠実さは、十分に試され、そしてあなたが御国の誉れを受け取る勝利者の教会、小さき群の一員としてふさわしいかどうかが証明されねばならない。
もし、あなたが神の言葉を熱心に研究し、善良なる正直な、献身した心にその真理を受け入れるならば、あなたの中に、神と神の計画とを愛する愛と、福音を宣べ伝えたいという強い願望が起こり、その時以後の全生涯の全身全霊を注ぐ問題となるであろう。
そして、それは、この世と名目上の教会からあなたを霊において分離させるのみならず、それらの物から完全に切り離すであろう。彼らは、あなたを変り者と思い、仲間から除外し、あなたはキリストのために見下げられ、愚かな者とされるであろう。彼らは主を知らなかったように、私達を知らないからである。(Ⅱコリント4:8~10、ルカ6:22、Ⅰヨハネ3:1、Ⅰコリント3:18)
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Are
you willing
to follow the Lord through evil
and good report? Are you willing
to forsake all,
to follow as
He may lead?
Quickened to
fresh zeal and fervent spirit. |
あなたは、、そしりと誉れにかかわりなく、主を知ろうと喜んでこの道を歩き続けることが出来るか?あなたは、主の御言葉に導かれるままに、友人の願望、自分自身の欲望の一切を捨てることが出来るか?
この書物を読む献身者の多くが、神の計画の明晰な理解を通じて、燃え盛る新たな情熱と霊の熱意に生かされ神の恵みによって、どんな犠牲を伴おうとも、主を知り、主に仕えるために歩き続けると言うことが出来るようになることを切に希望する。
このような読者は、高貴なベレヤ人のように(使徒行伝17:11)本書ですでに提示された事を、果たしてそのとおりであるかどうかを確かめるべきである。
矛盾する人間の信条や伝統によってではなく、唯一の正しいものとして神が権威を授けた規準――すなわち神ご自身の言葉によって、それを証明すべきである。私達が多くの聖句を引用するのは、そのような研究を一層容易にするためである。
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The
Divine Plan -- in perfect harmony with Gods character--
is a marvelous display of wisdom, justice, love
and power. |
この中で説明した神の計画を、従来抱かれていた概念や、聖書的と考えられてはいても、まだ証明されていない概念と一致させようとする試みは無益である。
神の計画は、あらゆる部分において、それ自体完全で調和のとれたものであり、聖書がその偉大な著者であると認める神の性質と完全に一致することが分るであろう。
それは驚くべき知恵と正義と愛の力の現れである。それは人間の発明力越え、ほとんどの人間の理解力をも越えるほどの超人間考察の証拠を持つ。
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ここに提示された計画に従って、解答を求めようとすると、様々な点で疑問が生ずるであろう。しかし、注意と思慮を伴う聖書研究は、すぐにそれらの疑問を解決するであろう。それらのすべてに対して、私達は自信をもって、ここに示された見解と完全に調和して答えられないような問題は一つもないと言うことが出来る。
本書に続く巻は、比類するもののない真理の調和の各段階を示しながら、このひとつの計画の様々な部分を詳しく説明している。未だかつて、聖書のすべての記述と調和を保ち得るような神学はなく、また、調和しようと試みた神学もなかった。しかし、私達は、ここに示すこれらの見解に対しては、十分に聖書と調和すると主張することが出来る。
聖書のみならず、神の性質と聖別された常識とも一致するこの調和は、すでに慎重な読者の注目を捕え、畏敬と希望と確信とでその心を満たしているはずである。それはなんと驚くべきものであろうか。しかもそれは、真理に関して、また神の無限の知恵と慈愛に富んだ計画に関して私達が期待すべきものなのである。
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Responsibility
Lift up the light!
Lift up a standard for the people! |
このように、聖書が驚くべきこと(詩篇119:8)を現わしつつある一方、人間の様々な信条や伝統に及ぼす現在の光は、全く逆の方法でこれらに対して影響を及ぼす。それらは、その崇拝者たちにさえ、不完全な醜いものと認められ、従って、かなり軽視されている。未だに支持されてはいるが、彼らは、それを説明することを恥じとする。
そして、これらの人間の信条や伝統に付随するこの同じ恥じが聖書にまで及び、あたかもその思想の醜さが神から発するものであるかのように思われている。だから、様々な進歩的思想家と呼ばれる人々は、彼らの見解に合わない聖書の部分を否定し始めている。その時に、神の子たちの前に、この真に光ある調和のとれた計画が、――一つも否定することなく、神の言葉のすべての部分と事柄に調和して――開かれるとは、なんと驚くべき神の摂理であろう。来たるべき時には、真理は信仰の家族を成長させるための肉となる。(マタイ24:45)
真理の性質を知って、真理と触れる者は、だれでもそれに関して責任を持つ。真理は受け入れ、それに従って行動するか、または拒否して見下げるかのどちらかであるべきである。これを無視することは、その責任から逃れることにはならない。もし私達がそれを受け入れるならば、それに対して責任がある。
なぜなら、真理は信仰の家族すべてのものであり、それを受け入れる各々は、真理の負債者となるからである。そしてもし忠実な僕となるならば、神の家族の他のメンバーにも真理を分配しなければならない。光を輝かそうではないか!もし再び暗黒に戻るならばその闇はどんなにか暗いであろう。光を掲げよ!人々のために旗を掲げよ!
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