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この問題を細心の注意を払ってコンコルダンスと聖書とを照らし合わせて研究したことのない人は、そうすることによって、聖句の中にある卓越性を見い出し、驚くであろう。旧約聖書は、神の国とメシヤが中心的地位を占める、その王国の王に関する約束と預言とで満ちている。
神が人類としてのイスラエルの国をメシヤの支配下に高めるということ、主がイスラエル人として来る時、主は彼らの王として来るのであり、長い間約束されてきた神の国をこの地上に建設するということが、すべてのイスラエル人の望みであった。(ルカ3:15)
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John the Baptist,
the Forerunner
of Jesus
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主イエスの先駆者、ヨハネは悔い改めよ、天国は近づいたという布告によってその伝道を開始した。(マタイ3:2)主も、それと全く同じ布告で伝道を始められた(マタイ4:17)し、また使徒達も同じメッセージを伝えるためにつかわされた。(マタイ10:7、ルカ9:2)
神の国は、主が一般伝道を始められた時に主題であったのみならず、主のすべての教えを貫く重要な主題であったのである。(ルカ8:1、4:43、19:11)語られた他の問題は、単にこの一つの主題に関連して、それを説明するために用いられたにすぎない。
主のたとえ話のほとんどは、様々な見地から見た、または異なった局面の神の国の描写か、さもなければ、神の国ではすべてを神に献げることが必須であることを指摘しようとするものか、または、アブラハムの肉的子孫であり、従って約束の肉的相続人であり、神の国は彼らのものであると勘違いしていたユダヤ人の誤りを指摘しようとするものであった。
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Why
didnt Jesus set up his kingdom at his first advent?
Jesus healing,
a foretaste
of his kingdom
on earth
Walking
to Emmaus
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私達の主イエスは、弟子達への話の中で、来たるべき神の国への彼らの希望を励まし、勇気づけてこのように言っている。私の父が国の支配を私にゆだねて下さったように、私もそれをあなたがたにゆだね、私の国で食卓について飲み食いをさせ、また位に座して、イスラエルの12部族をさばかせる(支配させる)であろう。(ルカ22:29、30)
また、こう言っている。恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。(ルカ12:32)そして彼らが王と認めた者が、冠を与えられ、王位に着くかわりに十字架につけられた時、弟子達はひどく失望したのである。
イエスの復活後、二人の弟子がエマオへの道すがら、彼らがイスラエルを救うのはこの人であろう――ローマのくびきから解放し、イスラエルを力と栄光に輝く神の国にするのはこの人であろう――と望みをかけていたと、見知らぬ人々に語っている。しかし、彼らは数日前に起こった変化に痛く失望していた。その時、イエスは彼らの理解の目を開き、神の国が建設される前に、先ず彼の犠牲が必要であった事を聖句によって示した。(ルカ24:21、25~27)
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Why
mans redemption precedes
kingdom blessings. |
神は、人間を救うことなく、地上の支配権をイエスに与える事が出来たはずである。なぜなら、いと高き者が人間の国を治めて、自分の意のままにこれを人に与えられる。(ダニエル4:32)からである。しかし、神はそのような方法で成し遂げられるより、はるかに雄大な構想を持っておられたのである。
そのような神の国は、いかに素晴らしい祝福が与えられようとも、すべての人間は死の宣告下にあるのだから、つかの間の王国であるにすぎないであろう。神の国の祝福を永遠の完成したものとするためには、先ず、人類が死からあがなわれるべきであり、アダムにあってすべての人に及んだ有罪の宣告から律法上、解放されるべきである。
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預言の説明の中で、イエスが来たるべき神の国への希望を弟子達に想い起こさせているということは、後にイエスが去ろうとしている時に、弟子達が、主よ、イスラエルのために国を復興なさるのはこの時なのですか?と質問している事実から明らかである。
イエスの答えは、明白ではないけれども、彼らの希望と矛盾してはいない。イエスは言った。時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。(使徒行伝1:6、7)
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Is the
kingdom
to be earthly?
or heavenly?
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弟子達も最初は、全ユダヤ人と同じように、神の国への不完全な概念を持っていたのは事実である。今日の多くの人々がもっぱら神の国は天的王国であると誤解しているように、彼らはそれがもっぱら地上的王国であると考えていた。主イエスのたとえ話と、難解な言葉の多くは定められた時に、それらの誤解を正すことを意図していたのであった。
しかし、主は常に、この地上に建設され、人間の間で支配されるべき支配体制としての神の国の概念を提示したのである。そして主は、彼らに神の国を受け継ぐ者となる希望を抱かせたのみならず、その建設のために祈るように教えられた――御国を来たらせ給え、御心が天に行われるごとく地にもなさせ給え
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Waiting
for
God's kingdom seemed absurd
to the worldly-wise.
Jesus taught that his kingdom was not of this world and would not be established until
after his suffering and death.
But zealot Jews rebelled against Rome, endeavoring to set up their kingdom prematurely.
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ユダヤ人中の世俗的知恵に長じた者にとっては、主はペテン師であり、狂言者であって、その弟子達は単なる盲従者であるとしか思えなかった。彼の知恵と気転と奇蹟は、否定することも、理性的に考えることも出来なかったが、彼らの不信仰の目には、彼が世界の相続者であり、世界を支配する約束の王国を建設し、そして、みすぼらしい生活をしている彼の従者達が、その神の国でイエスと共に支配者となるという彼の主張は、考慮するのも愚かしいことのように思われたのである。
訓練された戦士を持ち、有能な将軍と巨大な富を持つローマこそ、世界の主であった。そして、それは日毎にその権力を増していった。では、このナザレ人は誰なのか?お金も力もなく、一般民衆の中から貧しい者が従っていく、これらの漁夫達はだれなのか?かつてこの地上で知られた中でも最も雄大な最も力のある、約束された神の国の建設について説く、これらの人々はだれなのか?
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The Masada
The last outpost
of Jewish rebellion in 73 A.D., is the famous location where 960 Jewish zealots chose to
take their own lives rather than submit to a life of Roman slavery. |
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"The Kingdom
of God cometh not with observation"--Yet it would be everywhere present
and powerful.
The spiritual
kingdom
is being set up first
and will be
for a time
unrecognized. |
パリサイ人たちは、主の主張の弱点を暴露しようとし、また、それによってなんとか主の従者に疑惑を抱かせようとして、あなたの教えるこの神の国は、いつしるしを見せはじめるのか?あなたの兵士はいつ到着するのか?この神の国はいつ来るのか?と詰問した。(ルカ17:20~30)
もし、彼らが偏見に捕われず、彼ら自身の知恵によって盲目にされていなければ、それに対する主の答えは、彼らに全く新しい思想を与えていたはずである。彼は、神の国は彼らが期待するような方法では現われないと答えた。彼が教え、そしてまたその王国の共同相続者となるために、彼の従者となることを招いた、神の国は見えないものであって、それを見ることを期待してはならないと答えた。
イエスは答えて言われた「神の国は見られるかたちで来るものではない」また「見よ、ここにある」「あそこにある」などとも言えない。神の国は実にあなた方の*ただ中にあるのだ言い換えれば、神の国が来る時には、それは至るところに存在し、至るところに力を振るうけれども、目には見えないことを示したのである。
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*Diaglott とRotherham
の訳は、これをあなたがたのまん中にと訳している。それはあなたがたの間にと同じ意味なのである。それは、イエスが説いた神の国が、偽善者、白い墓とイエスに呼ばれたパリサイ人たちの心の中に間もなく設立されようとしていると主張する説とは全く相反するものである。この神の国が建設される時には、すべての階級の人々のただ中にまたは間に立つであろう。そしてすべての人を支配し、すべての人を裁くであろう。 |
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このように、イエスは霊的王国の概念を彼らに与えたのである。しかし、彼らはそれを受け入れる準備が出来ていなかった。後に示すように、定められた時に現われる約束をされた神の国に関するユダヤ人の期待には、ある程度の真理があった。しかし、主はここで、目に見えない御国の霊的部分について語っているのである。
御国のこの部分が最初に打ち立てられ、その存在は目に見えず、又しばらくの間は存在を認められない。神の国のこの霊的部分で相続者となる特権は、その時、提供された唯一の賜物であり、その時始まった福音時代の全期間中、私達の高い召しの唯一の希望であった。(ルカ16:16)だから、イエスが語ったのは、このことなのである。これについては、先に進むにつれてもっと明白に分るであろう。
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Jesus healing
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ニコデモとイエスの会話 ニコデモが、神の国の謎を解きたいと思ったが、そのようなことが彼の心に重きを置いていることが公になるのを恥じ、夜、イエスの所に来たということは、多分、一般の、特にパリサイ人の間に広まっていたイエスに対する悪感情のためであったのだろう。
主とニコデモの会話(ヨハネ3)は、一部分しか記録されていないが、神の国の性質に関して、少なからぬ暗示を与えてくれる。明らかに、その会話の要点は述べられているので、私達はそこから全体の趣旨を難なく推測することができる。それを次のように言い換えよう。
ニコデモ――先生、私達はあなたが神から来られた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにも出来はしません。しかし、あなたが語ることのある部分は、私には非常に矛盾しているように思われます。だから私は、その説明を求めに来たのです。
例えば、あなたとあなたの弟子達は、天国は近づいたと公言して歩いておられますが、あなたは軍隊も富も権力も持っていない。私達の目に映るものすべてのものから判断すれば、その主張は偽りであって、あなたは人々を欺いているように思えます。パリサイ人達は、一般にあなたをペテン師だと見なしています。でも私は、あなたの教えには何らかの真理があるばずだと考えます。
神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにも出来はしません。私の訪問の目的は、あなたの公言する神の国がどんな方法で、いつ、どこから建設されるのかを知ることです。
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"Begotten"
and "Born"
of the spirit |
イエス――天国について十分に理解したいというあなたの要求に満足のいくように、今、答えることはできません。私が十分に理解していないからではなく、たとえ私が十分に説明しても、現在のあなたの状態ではそれを理解することも、悟ることも出来ないでしょう。だれでも、上より新しい*命を与えられなければ、神の国を見る(ギリシャ語で**eidon――知る、親しくなる)ことは出来ない。私の弟子達でさえ、自分たちが宣べ伝えている神の国の性質に関して、非常に不明瞭な概念しか持っていません。
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*gennaoというギリシャ語とその派生語は、ある時には命を与えられる(begotten)、ある時には生まれる(born)と訳される。この言葉は、両方の概念を含み、それが使われる文章の意味に応じて、その両方の言葉に訳される。命を与えられる、と生まれる、という二つの概念は、常にその言葉の中に存在し、片方の言葉が使われる時、常にもう片方の言葉がその背後にある。ちょうど、誕生が与えられる(begetting)結果として起り、命が与えられることは誕生に先立つのと同じである。
gennaoとして関わる活動体が男性である場合は命を与えられると訳され、それが女性である場合は生まれるとして訳されるべきである。だからⅠヨハネ
2:29、3:9、4:7、5:1、18
のgennaoは、命を与えられるである。なぜなら、神(男性)が、そこでは活動体であるからである。
しかし、しばしばその訳は、その働きの性質が男性であるか、女性であるかによって異なる。~から(fromまたはout of)を意味するekeと一緒に使われる場合は、生まれると訳されるべきである。だから、ヨハネ3:5、6
のgennaoは、ekeという言葉によって示されるように――水から、肉から、霊から――生まれると訳されるべきである。 |
**この同じギリシャ語の言葉は、使徒行伝15:6では考えると訳される。使徒たちや長老たちがこの問題について考える(知る、または理解する)ために集った。同じ言葉がロマ11:22では、見ると訳されている。神の慈愛と峻厳を見よ(考える、または理解する)。Ⅰヨハネ
3:1では、どんなに大きな愛を父から賜ったことかよく考えてみなさい。
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How can a man
be begotten
when he is old?
Repentance
is not the
new birth.
Spiritual begettal
precedes
spiritual birth. |
私は、あなたにそれを語ることが出来ないのと同じ理由で、彼らにそれを語ることが出来ません。彼らも、あなたがそれを理解できなかったと同じ理由で、それを理解することが出来ませんでした。
でも、ニコデモ、神が世と関わる特色の一つは、もっと光を与える前に、すでに与えられている光に対して従順であることを、神は要求されるということです。
そして、神の国の後継者としてふさわしいと見なされる人々の選択に際して、信仰を身をもって表わすことが要求されることです。それらの人々は、ただの一歩先のみをはっきり見ながら、神の導きに一歩一歩喜んで従うような人でなくてはなりません。
ニコデモ――でも、私にはあなたが理解できません。それはどういう意味ですか?人が年をとってからどうして命を与えられることが出来るのですか?人は再び母の胎内に入り、そして生まれるのですか?浸礼者、ヨハネによって説かれ、水によるバプテスマによって示される悔い改めは、何か誕生のシンボルのようなものだとおっしゃるのですか?私はあなたの弟子達が、同じように神の国を説き、洗礼をさずけるのを見ました。これがあなたの説く神の国を見、それに入ろうとする人々に必要な新しい誕生なのですか?
イエス――私達は、聖別された国民、契約の民です。みんなエジプトを出た時、海と雲によってモーゼにつくバプテスマを受けたのです。神はシナイで、彼らの契約の仲保者、モーゼを通して彼らを受け入れました。
でも、彼らはその契約を忘れ、ある人々は公然と取税人や罪人としての生活を送り、他の多くの人々は、自らを義とする偽善者です。だからヨハネの教えと私の弟子達の教えは、神に帰り、過去になされた契約を再認識する悔い改めを説くものです。
そしてヨハネのバプテスマは、この悔い改めと、心と生活態度の改革を意味するものであって、新しい誕生ではありません。しかし、それ以上のことを理解しなければ、神の国を見ることは決して出来ないでしょう。
悔い改めは、あなたを義と認められる状態に帰し、その状態にいて初めて、あなたはモーゼの本体であるメシヤとして私を認めることが出来るでしょう。こうして私に献身することにより、あなたは父から神の性質に至る新しい命を与えられるでしょう。
もし、この命が成長し、活かされるならば、あなたは最初の復活において、新しい被造物、すなわち霊的存在として確実に誕生するでしょう。そのようにして、あなたは神の国を見るのみならず、神の国を受け継ぐ者となるでしょう。
ニコデモよ、この新しい誕生が及ぼす変化は、実に偉大なものです。というのは、肉から生まれるものは肉であり、霊から生まれるものは霊だからです。
私が最初に述べたこと、すなわち、あなたが尋ね求めることを知り、悟り、理解する前に、上から命を与えられなければならないと言ったのを疑ってはなりません。
あなたがたは、新しく生まれなければならないと私が言ったからとて、不思議に思うには及ばない。肉から生まれたあなたの現在の状態と、私が説いている神の国に入り、神の国を築く、霊から生まれた人々の状態との間には、大きな違いがあります。
では霊に生まれ、この神の国を築く存在者について、あなたが多少とも知ることが出来るように、例をあげて説明しましょう。
風は思いのままに吹く。あなたは、その音を聞くが、それがどこから来て、どこへ行くかは知らない。霊から生まれる者も、みなそれと同じである。
風があちこちと吹き、あなたのまわりに影響を及ぼしても、それがどこから来てどこへ行くのかあなたは知りません。
この例えは、復活の時、霊に生まれる人々、すなわち私が今説いている神の国に入り、それを築く人々のことをよく表わしています。彼らも風のように、見ることはできません。
そして霊から生まれたのではない人間には、彼らがどこから来てどこへ行くのかを知ることはできません。
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Elisha and his Servant
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ニコデモ――目に見えない存在とは、どのようなものですか?
イエス――あなたは、イスラエルの教師でありながら、これくらいのことがわからないのか?他人を教えようとするあなたは、エリシヤとその僕のことを、また、バラムのロバのことを読んだことがないのですか?
このこと、すなわち霊的存在者は人間の間に存在し、しかも目に見えないということを説明する聖書の中の多くの実例を知らないのですか?
しかもあなたは、霊的存在者としての御使いを信じると自認するパリサイ派の者ではありませんか?しかし、このことが、私が最初にあなたに語ったこと、すなわち上から新しい命を与えられなければ、誰も神の国とそれに関わる様々なことを見る(知る、親しむ、理性的なものとして理解する)ことは出来ないということを表わしています。
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"The wind bloweth
where it listeth, and thou hearest the sound thereof, but canst not tell whence it cometh,
and whither it goeth:
so is every one that is born of the Spirit." John 3:8 |
What is
spirit begettal?
*The words "which is
in heaven" (verse 13) are not found in the most ancient and reliable MSS. |
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もしあなたが、私が告げる神の国に入り、私と共に相続者となりたいならば、一歩一歩、光に従って歩かねばなりません。そうすることによって、あなたの神の国への準備の速度に従って、もっと光が与えられることでしょう。私はあなたがたが今、理解できることを教え、奇蹟を行い、あなたはそれを見て、私が神から来た教師であることを認めるにもかかわらず、信仰を行動で表わし、公に私の弟子となって私に従って来ません。
あなたが見ていることに従って行動するまでは、それ以上見ることを期待すべきではありません。あなたが見るものに従って行動する時、神は、次の一歩への光としるしを与えられるでしょう。
よくよく言っておく。私達は、自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたは、私達のあかしを受け入れない。私が地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。
私があなたに天のことを語っても無駄でしょう。あなたは理解せず、私の教えはあなたに愚かなことに見えるのですから。この世の性質に属し、この世のことによって示される私の教えが、もしあなたを説得し、弟子として公然と私に従わせるのに十分でないならば、ましてあなたの知らない天のことを語っても、あなたを納得させることは出来ないでしょう。
なぜなら、誰もかつて天に昇ったことはなく、従って誰も私の証言に確証を与えることは出来ないのですから。天からおりてきた私だけが天的なことを理解し得るのですから。天から下ってきた者、すなわち、人の子のほかにはだれも天にのぼった者はいない。
天的なものの知識は、霊の命を与えられた後にのみ得られ、天的なものそれ自体は、霊的存在者として霊に生まれる時にのみ得られるのです。
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Jesus taught
about an earthly
kingdom. |
ここで分るように、偏見と教育とによって、神の国の地上的部分の曲解以外には何も見えなくされてしまった人々に、神の国を知らせようとした主には、大変な忍耐が要求された。
特別にイスラエルのために提供された7年間の間には、イスラエルからはごくわずかしか選ばれなかったけれども、メシアの国を相続するためにふさわしいクラスの選択は進められた。神が予知したように、彼らにはまだその準備が出来ていなかったことと、それを把握し、提供された状況に従うことが出来なかったことによって、メシヤの国を相続する権利は、ほんの少数者がこれを受けただけで、国民としてのイスラエルを通過し、主の御名を負う民を選ぶために、異邦人に移されてしまった。
そして異邦人の間でも、ごく小数の――小さき群――のみが、その特権を理解し、メシヤの国とその栄光の中で共同相続者にふさわしいものと見なされるのである。
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The
kingdom
of God
has not yet
reigned on earth. |
名目上のキリスト教会に導入された誤りは、大変深刻であった。それは、この約束の王国が単に、現在の状態における名目上の教会だけを意味し、その王国の働きは、単に信者の心の中にだけ働く恵みであるとするものであるものであって、この世と名目上の教会の不潔な同盟を見て、神の御心が天に行われるごとく行われる地上の天国であると、多くの信徒が信ずる程に、この誤りは極端に達したと言うべきである。
教会が神の国であり、恵の業は、今信者の心の中に進行しつつあるということは確かである、しかし、これが真理のすべてと考え、地上において未来に建設されるべきまぎれもない神の国を否定することは、私達を世に勝たせる励ましと助けのために、主と使徒と預言者とによって伝えられたもっとも力強い、最も明白な約束を無効にし、無意味にするものである。
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Christian
allegiance.
Christ's earthly kingdom will reach the whole earth.
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主のたとえ話の中で、教会はしばしば神の国と呼ばれている。使徒も、神は暗黒の国から私達を移して御子の国へ至らせたと語って、それが現在、キリストが支配する神の国であることを示している。私達、キリストを信ずる者は、キリストが買い取った支配権を現在認めるまで、キリストが強制的にこの地上に御国を建設する前に、感謝をもって、自ら進んでキリストに従うのである。
私達は、キリストが実施する義の律法と、現在この世の君である略奪者が支持する暗黒の国との違いを知っている。こうして、神の約束に対する信仰は私達を変え、新しい王の支配下に服従させる。そして、その王の恵みによって、力と栄光のうちに建設されるべき御国で、彼らと共同の相続者となるのである。
しかし、この事実は、海から海まで治め、川から地の果てまで治める。(詩篇72:8)諸国の者はみな彼に仕え、かつ従う。(ダニエル7:27)天上のものも、地上のものも、あらゆるものが彼に向ってひざをかがめる(ピリピ2:10)などという終局的なキリストの国の約束を無効とするものではなく、むしろ現在小さき群が選ばれつつあるということが、それらの約束を確実なものとしている。 |
"He
said therefore,
A certain nobleman went into a far country
to receive
for himself
a kingdom
and to return."
Luke 19:12 |
主のたとえ話を注意深く調べると、神の国の到来、または建設が未来に属するものであること、すなわち当然、その王が来るまでは実現しないと教えていることが分かるであろう。ある身分の高い人が王位を受けて帰ってくるために、遠い所へ旅立つというたとえ話(ルカ19:11~15)などがはっきりと、キリストの再臨の時、神の国が建設されることを示している。
ずっと後になって、主から教会に送られたメッセージは、死に至るまで忠実であれ、そうすれば命の冠を与えよう。(黙示録2:10)ここから彼と共に支配する王たちは、この世において支配するのではないことが明らかである。
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Gods
kingdom
is not yet set up
in glory and power.
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だから、現在の教会は力と栄光のうちに建てられた神の国ではなく、初期の胎児の状態にある。神の国に関するすべての新約聖書の記述は、そのように教えている。その天国は今、世界の手中にあって、激しく苦しみ、その王は虐待され、十字架につけられ、その王の御跡に従う者はだれでも何らかの形で迫害と虐待行為とに苦しんでいる。
これは真の教会にのみ言えることであって、名目上の教会には言えない。しかし、もし今、私達(教会すなわち神の国の胎児)がキリストと共に苦しむならば、定められた時に、キリストが偉大な力と支配とを振う時には、私達も栄光を与えられ、キリストと共に支配するということを約束は示している。
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Parable of the Publican and Sinner
"And again
I say unto you,
It is easier
for a camel
to go through the eye of a needle, than for a rich man to enter into the kingdom of
God."
Matthew 19:24 |
ヤコブ(2:5)は、主の教えと一致して、この世の規準に従えば、貧しい者、見下げられている者を神は選んで現在、この世を支配するためにではなく、約束の御国の相続者とされつつあると語っている。財産のある者が神の国にはいるのはなんとむずかしいことであろう。(マルコ10:23)
これが今日、世界に行きわたっている名目上の教会を意味しているのではないことは明らかである。なぜなら、名目上の教会は競って富めるものを歓迎しているからである。ペテロは、兄弟たちよ、それだから、ますます励んであなたがたの召しと選びとを確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない。
こうして、私達の主、または救い主イエス・キリストの永遠の国に入る恵みが、あなたがたに豊かに与えられるからである。(Ⅱペテロ1:10、11)と言って、御国の相続者に忍耐、我慢、徳、信仰を持つことを勧めている。
Needles Eye Gate --
Humans could pass through easily; but large animals, such as camels, had to be unloaded
and kneel to get through. |
Jaffa Gate -- Located at the west side of Jerusalem,
the Jaffa Gate has a "needles eye," a small opening used as a security
entrance at night when the large gate was safely shut. |
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Christian
liberty |
ロマ14:17のパウロの言葉は、ある人々によって、象徴的な御国をさすものと考えられている。しかし、文脈に照らして調べると、それは単に次のようなことを意味していることが分る。すなわち、今や神の愛する御子の国に移された私達は、かつてユダヤ人として律法の下にあった時、持たなかったような食べ物、その他に関する自由を持つ。(14節)
しかし、もしそれを知らない兄弟につまずきとなり、良心の妨げとなるならば、この自由を使わない方がよい。食べ物に関する私達の自由によって、兄弟を滅ぼしてはならない。キリストは彼のためにも死なれたのである。
しかし、現在及び未来の御国の特権は、食物の自由よりもっと偉大な祝福、すなわち善を行い、キリストによって神に対して平和を保ち、神の聖霊にあずかるということに関する自由を含んでいることを心に留めておこう。御国(現在と永遠)の自由は、実に高大なものであって、現在、食べ物に関するような小さな自由を兄弟のために犠牲とするのは当然である。
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Christians must be
overcomers
to sit with Jesus
in His Father's throne and reign
over the nations
of earth.
Overcoming requires death in the Lord's service.
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このように、いかなる聖書的見地から眺めようとも、御国の約束は神話的欺瞞や、或いは現在の私達の状態がこれらの約束を成就するものだという概念は矛盾していることがわかる。
初代教会にとっては、御国の誉れ、及び主と共同の相続権を与えるという約束が、当時の試練と迫害の下で――それを予期するようにあらかじめ警告されていた――忠誠を守り通すための強力な刺激となった。
ヨハネの黙示録の七つの教会に与えられた慰めと励ましのことばの中で、勝利を得る者には、私が勝利者となり父の御座についたように、私と共に私の座につかせよう。と勝利を得る者には国々を支配する力を与えよう。よりも明るく強力に輝く約束はない。
これらの約束は、現在、人々の心の中に適用されるものであると誤解することも、現在の国々に対する支配権であると誤解することも出来ないというのは、勝利を得る者は、死によってそれをするのであり、そうして御国の誉れを獲得するからである。(黙示録20:6) |
"Now
ye are full, now ye are rich,
ye have reigned
as kings
without us:
and I would to God ye did reign,
that we also might reign with you."
I Corinthians 4:8
Paul preached that
present suffering
would be followed
by future reigning.
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しかし、人間の性質は、苦しみを避け、しかも誉れと力を得たいと願う。だから使徒の時代でさえも、教会の中のある者は、未来の誉れと力の約束を、現在の生活に適用し、あたかも世界が教会に誉れを与え、教会に従う時がすでに到来したかのように行動し始めたのを見る。使徒パウロは、そのような概念はプライドを育て、犠牲から遠ざけ、教会に悪影響を及ぼすことを知って、この誤りを正している。彼は皮肉をこめて言う。
あなたがたは、すでに満腹しているのだ。すでに富み栄えているのだ。私達をさしおいて王になっているのだ。そして更につけ加えて熱心に、そうであったなら、私達(迫害された使徒達)も、あなたがたと共に王になれたであろう。(Ⅰコリント4:8)
彼らはキリスト教から逃れて、また、キリスト教と共に、出来る限りの誉れを得ようとすることによって、彼らのキリスト教を謳歌していたのである。使徒は、もし彼らが主の従者として忠実ならば、そのような状態にはなり得ないことを知っていた。
だからもし、長い間期待されてきた支配が確かに始まったのなら、パウロもまた、彼らに劣らず支配すべき者であること、彼も真理への忠誠のために苦しんだ者であることを彼らに思い起こさせているのである――ということは、
彼らの支配がまだ未熟であって、栄光ではなく、むしろわなであることの証拠なのだが。そして皮肉をこめて彼はつけ加える。私達(使徒と忠実な僕)は、キリストのゆえに愚かな者となり、あなたかたはキリストにあって賢い者となっている。私達は弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊ばれ、私達は卑しめられている。
私は、これらのことを単にあなたがたを恥ずかしめるために書くのではない。私には、あなたがたに警告すべき立派な目的がある。現在の誉れの道は、現れるべき未来の栄光と誉れに導かないからである。しかし、現在の苦しみと自己否定は、栄光と誉れと不滅と御国の共同相続権へと導く狭き道である。
だから、私はあなたがたに勧める。私にならう者となりなさい。今、苦しみ、ののしられ、迫害されなさい。公平な審判者である主が、その日に私に授けてくださる命の冠を、私と共に分ち合うためである。それは、私だけに授けられるものではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。(Ⅰコリント4:10~7、Ⅱテモテ4:8)
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The
true church has not yet reigned over the earth.
The Pope crowning Charlemagne
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しかし、初代教会が多大な迫害に忠実に耐えた後、教会の働きは、この世を克服し、地上に天国を建設し、主の再臨の前に国々を支配することであるという理論が広がり始めた。これは、この世的、陰謀、虚飾、プライド、これみよがしの見せかけや儀式を教会の中に築き、それが世俗的人々を印象づけ、魅惑し、威圧するために使われるようになった。
そして少しずつ、法王制度は地上の神の国として尊敬され、教皇の律法とその教職者にすべての種族、すべての国、すべての民を服従させる権利を持つと主張するまでになった。この偽りの主張の下に(彼らは他人を欺くと共に彼ら自身をも欺いている)法王制度は、しばらくの間、ヨーロッパ諸国の王権を与えたり、奪ったりした。そして法王制度は、執行することが出来ない権威を未だに主張している。
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この同じ概念は、法王制度を通してプロテスタント主義に伝えたれた。プロテスタントも、もっと漠然とではあるが、教会の支配は進行しつつあると主張し、その信棒者は、主が写実的に述べたように(黙示録3:17、18)、コリント人同様に満腹し、富みそして王として支配しているのである。このように、教会の単なる名目上のメンバーは――実際には改心しない者、すなわち、麦ではなく毒麦、すなわち麦の模造品であるにすぎず――キリストの真の弟子より、はるかに数において多いのである。
これらの人々は、あらゆる真の犠牲や自己否定に反対し、義のため、真理のために迫害を忍ぶことをしない、せいぜい、ただ、断食などの形式にのみ踏みとどまるにすぎない。彼らはこの世と共に支配しているのであり、主の再臨に際して主によって建設される真の御国を受け継ぐために準備しつつあるものではない。
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There
can be
no kingdom
without a king. |
この見解と、イエス及び使徒達の教えとの間には、明白な不一致が存在する。イエスと使徒達は、王が来るまで御国が来るはずはないと教えている。(黙示録20:6、3:21、Ⅱテモテ2:12)だから、御国が権力と栄光をもって建設されるまで、虐待を受けねばならない。 |
"To
him that overcometh
will I grant
to sit with me
in my throne,
even as I also overcame,
and am set down with my Father
in his throne." Revelation 3:21 |
神の国の二つの部分
主が語ったように、神の国は、目に見える形で来るのではない――最初は姿を現わさない――のは事実だが、定められた時には、外見的に見え、間違うことのできないしるしによって、すべての人々に現わされる。神の国が完全に建設される時には、それは二つの部分、すなわち霊的、または天的な部分と、地上的、または人間的部分とから成るであろう。
霊的な部分は、それを形成するものが神性、または霊性であるので、常に人間の目には見ることができない。それはだれも見たことがなく見ることも出来ないのである。(Ⅰテモテ6:16、ヨハネ1:18)しかし、その存在と力は、主として神の国の地上的部分を形成する人間の代表を通して、力強く発揮されるであろう。
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御国の霊的部分を形成するものは、福音時代の勝利を得る聖徒である――すなわち、栄光に輝くキリスト、その頭と体である。彼ら復活とその賞揚とは他のすべての者に先だつ。なぜなら、このクラスを通して他のすべての者が祝福されることになっているからである。(ヘブル11:39、40)彼らの復活は第一の復活である。(黙示録20:5)* |
*黙示録20:5にあるそれ以外の死人は、千年の期間が終るまで生き返らなかったという言葉は正しくない。というのは、その言葉は最も信頼できる最古のギリシャ語の写本、シナイ、バチカン第1209号及び第1160号にも、シリヤ写本にも見られないからである。
聖書の近代版に見られる多くの節が追加されたものであって、聖書に属するものではないことを私達は記憶すべきである。神の言葉につけ加えてはならないと戒められいるので、偽造された個所を見つけるや否や、それを排除するのは私達の義務である。この言葉は多分、5世紀ごろ、偶然に本文中に入りこんだのであろう。それ以前の写本には、この節が含まれていないからである。
多分、最初はその節に関する個人的意見として、一読者によってなされた欄外の注釈だったのだろう。そして後に本文との区別をすることの出来ない他のだれかによって本文中に書き込まれて書き写されたのであろう。
しかし、この節の排除は、ここに示されている計画にとって必要ではない。というのは、それ以外の死人――世界一般――は、完全な意味では、アダムが罪を犯し、きっと死ぬであろうとの宣告を受ける以前に生きたような完全な命を再び回復するのではないからである。
弱点も死もない完全な命だけを神は命と認めるのである。この意味では、世界のすべての人は、すでに命を失い死んでいるのである。従って正確には、生きているというより、死んでいるとみなされてもよいのである。(Ⅱコリント15:14、マタイ8:22)
復活という言葉(ギリシャ語anastasis)は、起こすという意味である。人間に関して言えば、堕落した状態からアダムによって失われた完全な人間性へと起き上ることを意味する。堕落した人類が失った完全性は、回復または復活の千年の間に、次第に起こされる完全性である。
千年時代は、試練の時であるばかりでなく、祝福の時である。命への復活、または回復を通して、この好機を知り、それを捕え、喜んで従うすべての者に、失われたものはすべて回復させられる。復活の過程は、その十分な達成には千年全期間を要するゆっくりとしたものである。
現在、私達が享受しているような命と意識の自覚は、勿論、瞬間的ではあるけれども、千年が終るまでは、人類はアダムが失った完全な命を十分に取り戻すことは出来ない。完全な命に欠けるものは、部分的には死の状態であるので、上の言葉は、霊感を吹き込まれた記録の一部ではないけれども、それ以外の死人は、回復と祝福が完成する千年の終りまで生き返らなかった(失った命を十分に取り戻さない)ということは、厳密には真理である。
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What does
"resurrection"
mean?
"Marvel not at this:
for the hour
is coming, in the which all that are
in the graves shall hear his voice, and shall come forth;
"They that have done
good, unto the resurrection
of life; and they that have done
evil unto the resurrection
of judgment (Greek "krisis")."
John 5:28,29
The kingdom work of Jesus
and the Church
Who
are the "Ancient Worthies"?
Abraham
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Jewish
hope --
Believing that Gods Kingdom would be established in
Jerusalem and all nations would come to the "house of the God of Jacob," Jewish
tombs thickly cover the slopes of Olivet, giving evidence to the Jewish faith in
Gods promises of a kingdom and the resurrection of the dead. |
Moslem
hope --
When Messiah comes,
he will enter Jerusalem through the Golden Gate; hence, the resurrection and judgment will
begin from here.
Those who cannot walk the line of justice will fall into the Valley of Death below.
Moslem tombs surround the Golden Gate,
waiting for the Messiah. |
Christian
hope --
A Christian
cemetery lies in the Kidron Valley between the Jewish cemetery (on Mt. Olivet to the east)
and the Moslem cemetery (on Mt. Moriah to the west).
When Christ returns, he will judge the world in righteousness. |
この栄光ある油そそがれた群れ――キリスト――の前に置かれた偉大な業は、彼らの神性への賞揚を必然の結果として伴う。神性の力を別にしては、それを成し遂げることが出来るものはいないからである。彼らの仕事は、この地上に属するものばかりではなく、天においても地においても一切のもの、すなわち霊的、及び人間的存在者に属する一切のものに関わるのである。(マタイ28:18、コロサイ1:20、エペソ1:10、ピリピ2:10、Ⅰコリント6:3)
神の国の地上的部分の事業は、この世界と人間のことに限られる。この仕事にあずかる名誉は、人間の中でも神から最も高められ、名誉を与えられた人々のものである。これらの人々は8章(145ページ)で述べられているクラスであって、彼らのさばきの日は、福音時代以前にあったのである。
すでに試され、忠実な者とされているので、目覚める時、彼らは再びさばかれることはなく、すぐに彼らの忠誠に対する報酬を受けるであろう。――すなわち、人間としての完全性に瞬間的に復活するであろう。(これらの人々と霊的クラスに属する人々を除けば、他の人々は、千年時代の間に徐々に完全性へと起こされるのである。)このように、このクラスに属する者は、すぐにキリストの人間的代理として、残りの人類を回復し、祝福する仕事にたずさわることが出来るであろう。
キリストの事業を達成するためには、霊的性質が必要であるように、人間の間でなされるべき事業を達成するためには、完全な人間性が充当される。これらの人々は、人間の間で教え、人間の目で見えるであろう。彼らの完全性の栄光は、常に模範となり、他の人々が同じ完全性を獲得したいと努力する刺激となるであろう。
これらの古代の聖人たちが神の国の人間的部分で、人類から見られるということは、イエスを否定した不信のユダヤ人へのイエスの言葉によって十分に証明されている。イエスは言うあなたがたは、神の国でアブラハム、イサク、ヤコブ及びすべての預言者を見るであろう。ここで注目すべきことは、主ご自身やその弟子達もアブラハムと共に見るであろうと主が言っていないことである。
当然のこととして、人間は、御国の地上的部分を見、、地上的部分と交わる。しかし、霊的部分を見たり、それと交わったりすることは出来ない。その時、そのうちのある者は、それ程偉大な名誉を拒否し、、それを遂に逃したことを疑いなく痛く悔いるであろう。
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How
will the
two phases
of the kingdom
operate?
Moses
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私達は、天国のこの二つの部分が、どんな方法で調和して働くのかについての正確な知識を与えられていない。しかし、私達には、イスラエルを代表するモーゼ、アロン、ヨシュア、預言者などを通してイスラエルと神が関わりを持った方法の例証がある――来たるべき時代の事業は、すべての死人の覚醒と完全な従順への回復を包含するものだから、来たるべき神の力の現れは、模型的時代のそれよりもはるかに優れたものであるのは言うまでもない。
この事業は、彼らが物事の状態を正しく指導することが出来るためには、人間の中に、完全な人間が支配的位置につく完全な支配体制を確立することを必然的に伴うであろう。また、あらゆる性質の正しい教育機関と様々な種類の博愛手段の設置を必然的に伴うであろう。
確かな、着実な手段によって、このように人類を高める高尚な事業(同じ御国の目には見えない霊的なメンバーの指導下において)は、古代の聖人達が任命される高い名誉である。そして彼らは、この世の最終的破滅と、この世の王であるサタンの捕縛を待って、すぐに準備をととのえてその目的のためにやって来るであろう。神の命を受けた天国の代表者として、彼らは、すべての国民の尊敬と協力を受けるであろう。
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When
mankind stands holy
and righteous
at the end
of the 1,000 years, the kingdom
will be returned
to God. |
満たされる地上的祝福
神の国の地上的部分に位置を得ることは、完全な人間の心のすべての願いと望みとを満足させることである。地上の神の国に一歩足を踏み入れる時から、すでに栄光と満足が与えられるが、時が進み、祝福の事業が行われるにつれて、その栄光は増大する。
そして千年の終りに、キリストによって偉大なる回復が達成される時(大部分はこれらの高貴な人間の協力者を通して)全人類(手におえないような頑固な人を除いて――マタイ25:46、黙示録20:9)がエホバの前に、しみもしわもそのあとかたさえもないものとして立つ時、この事業の手足となった人々は、彼らの同胞の間で輝き、神とキリストと天使の前に星のようになって永遠に至るであろう。
12:3)彼らの愛の働きと労働は、恩を感じる同胞によって決して忘れられることはなく、彼らは永遠に覚えられるであろう。(詩篇112:6)
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しかし、御国の地上的部分を形成するこれらの完全な人間の増大した栄光がいかに偉大であろうとも、天的な栄光はそれに勝る栄光である。前者は星のように永遠に輝き、後者は太陽のように大空に輝くであろう。(ダニエル12:3)
天上の栄光も、地上の栄光もことごとくキリストの足もとに置かれる。永遠の世々を通して、キリストによって現わされようとしている栄光は、人間の心ではとても理解することは出来ない。(ロマ8:18、エペソ2:7~12)
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The
earthly seed and the heavenly seed of Abrahams promise
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アブラハムへの約束が確実なものとされるのは、御国のこれらの二つの部分を通してである――あなたとあなたの子孫によって、この地上のすべての家族は祝福されるであろうあなたの子孫は浜べの砂のように、天の星のようになるであろう――この両方の子孫がこの世界を祝福する神の手足となる地上的、天的な部分である。
この約束の両方の部分は、はじめから神によって明らかに知られ、意図されていたが、アブラハムが見たのは、地上的子孫だけであった。そして神は、自然的子孫の中から霊的クラスの頭(使徒、その他)を選び、最高の祝福、すなわち天的召しへの霊的祝福をアブラハムの国民のすべてに提供したが、これはアブラハムがその契約中にとうてい見ることが出来ないような恵の中の恵みであった。
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The
earthly (human) and heavenly (spiritual) resurrection |
パウロは(ロマ11:17)アブラハムの契約のことを語って、肉的イスラエルがそこから自然にはえ育ったが、不信仰のゆえに切り去られ、異邦人がその信仰のゆえにそれにつがれたのであると言っている。これは、御国の二つの部分を形成する地上的(人間)と天的(霊)との二つの子孫の成長における約束の二重の成就を証明している。
根としてのこの契約は、この二種類の異なる枝を持ち、その各々は復活の時、各々の異なる種類の完全な果実――御国における人間的と霊的クラス――を結ぶ。成長の順序に従えば、最初は自然的(地上的)、次に天的な支配者が来たが、地位と時間の荘厳の程度に従えば、最初は霊的、次に自然の支配者が来るであろう。だから、後のものが先になり、先のものが後になるのである。(マタイ19:30、ルカ16:16)
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Stephens
sermon shows that Israel was yet to receive their earthly promise.
This gate is
traditionally
the location
where Stephen
was stoned
while giving his
sermon of Acts 7. |
ステパノが言及し、イスラエルが信じたアブラハムへの約束は、地上的なものであって、土地に関する約束であった。神が彼に所領として与えられた約束とステパノは語っている。神はアブラハムに言った目をあげてあなたのいる所から北、南、東、西を見わたしなさい。すべてあなたが見わたす土地は、永久にあなたとあなたの子孫に与えます。(創世記13:14~17)ステパノは、この約束がこれから成就されるべきものであることを指摘している。というのは、神はアブラハムに遺産となるものは何一つ、一歩の幅の土地すらも与えなかったと断言しているからである。
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Stephens
Gate --
On the east side of
Jerusalem is Stephens Gate, also called "The Lions Gate" because of
the carvings of lions in the stones above.
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