世々にわたる神の計画

第 14 章

 神の王国 

 

――この問題の卓越性

――新しい神の国の性質

――福音時代における神の国

――パウロによって正された偽りの見解

――神の国に関する誤った観念の結果

――神の国の二つの部分

――霊的部分とその働き

――地上的部分とその働き

――その二つの調和的作用

――地上的部分の栄光

――天的部分の栄光

――その二つの枝が発生する契約の根

――神の国の地上的部分・イスラエル

――失われた種族

――天的エルサレム

――模型的人類としてのイスラエルの衰亡と回復

――選ばれる階級

――神の国の相続者

――その鉄則

――千年支配の目的の例証

――父に渡される神の国

――完全に成就される神の最初の計画


 

 

     この問題を細心の注意を払ってコンコルダンスと聖書とを照らし合わせて研究したことのない人は、そうすることによって、聖句の中にある卓越性を見い出し、驚くであろう。旧約聖書は、神の国とメシヤが中心的地位を占める、その王国の王に関する約束と預言とで満ちている。

   神が人類としてのイスラエルの国をメシヤの支配下に高めるということ、主がイスラエル人として来る時、主は彼らの王として来るのであり、長い間約束されてきた神の国をこの地上に建設するということが、すべてのイスラエル人の望みであった。(ルカ315

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John the Baptist,
the Forerunner
of Jesus

    主イエスの先駆者、ヨハネは悔い改めよ、天国は近づいたという布告によってその伝道を開始した。(マタイ32)主も、それと全く同じ布告で伝道を始められた(マタイ417)し、また使徒達も同じメッセージを伝えるためにつかわされた。(マタイ107、ルカ9:2)

   神の国は、主が一般伝道を始められた時に主題であったのみならず、主のすべての教えを貫く重要な主題であったのである。(ルカ814431911)語られた他の問題は、単にこの一つの主題に関連して、それを説明するために用いられたにすぎない。

   主のたとえ話のほとんどは、様々な見地から見た、または異なった局面の神の国の描写か、さもなければ、神の国ではすべてを神に献げることが必須であることを指摘しようとするものか、または、アブラハムの肉的子孫であり、従って約束の肉的相続人であり、神の国は彼らのものであると勘違いしていたユダヤ人の誤りを指摘しようとするものであった。

Why didn’t Jesus set up his kingdom at his first advent?

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Jesus healing,
a foretaste
of his kingdom
on earth

 

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Walking
to Emmaus

     私達の主イエスは、弟子達への話の中で、来たるべき神の国への彼らの希望を励まし、勇気づけてこのように言っている。私の父が国の支配を私にゆだねて下さったように、私もそれをあなたがたにゆだね、私の国で食卓について飲み食いをさせ、また位に座して、イスラエルの12部族をさばかせる(支配させる)であろう。(ルカ222930

   また、こう言っている。恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。(ルカ1232)そして彼らが王と認めた者が、冠を与えられ、王位に着くかわりに十字架につけられた時、弟子達はひどく失望したのである。

   イエスの復活後、二人の弟子がエマオへの道すがら、彼らがイスラエルを救うのはこの人であろう――ローマのくびきから解放し、イスラエルを力と栄光に輝く神の国にするのはこの人であろう――と望みをかけていたと、見知らぬ人々に語っている。しかし、彼らは数日前に起こった変化に痛く失望していた。その時、イエスは彼らの理解の目を開き、神の国が建設される前に、先ず彼の犠牲が必要であった事を聖句によって示した。(ルカ24212527

Why man’s redemption precedes
kingdom blessings.
     神は、人間を救うことなく、地上の支配権をイエスに与える事が出来たはずである。なぜなら、いと高き者が人間の国を治めて、自分の意のままにこれを人に与えられる。(ダニエル432)からである。しかし、神はそのような方法で成し遂げられるより、はるかに雄大な構想を持っておられたのである。

   そのような神の国は、いかに素晴らしい祝福が与えられようとも、すべての人間は死の宣告下にあるのだから、つかの間の王国であるにすぎないであろう。神の国の祝福を永遠の完成したものとするためには、先ず、人類が死からあがなわれるべきであり、アダムにあってすべての人に及んだ有罪の宣告から律法上、解放されるべきである。

     預言の説明の中で、イエスが来たるべき神の国への希望を弟子達に想い起こさせているということは、後にイエスが去ろうとしている時に、弟子達が、主よ、イスラエルのために国を復興なさるのはこの時なのですか?と質問している事実から明らかである。

   イエスの答えは、明白ではないけれども、彼らの希望と矛盾してはいない。イエスは言った。時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。(使徒行伝167

Is the kingdom
to be earthly?
or heavenly?

 

 

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     弟子達も最初は、全ユダヤ人と同じように、神の国への不完全な概念を持っていたのは事実である。今日の多くの人々がもっぱら神の国は天的王国であると誤解しているように、彼らはそれがもっぱら地上的王国であると考えていた。主イエスのたとえ話と、難解な言葉の多くは定められた時に、それらの誤解を正すことを意図していたのであった。

   しかし、主は常に、この地上に建設され、人間の間で支配されるべき支配体制としての神の国の概念を提示したのである。そして主は、彼らに神の国を受け継ぐ者となる希望を抱かせたのみならず、その建設のために祈るように教えられた――御国を来たらせ給え、御心が天に行われるごとく地にもなさせ給え

Waiting for
God's kingdom seemed absurd
to the worldly-wise.

 

 

 

 

 


Jesus taught that his kingdom was not of this world and would not be established until after his suffering and death.
But zealot Jews rebelled against Rome, endeavoring to set up their kingdom prematurely
.

     ユダヤ人中の世俗的知恵に長じた者にとっては、主はペテン師であり、狂言者であって、その弟子達は単なる盲従者であるとしか思えなかった。彼の知恵と気転と奇蹟は、否定することも、理性的に考えることも出来なかったが、彼らの不信仰の目には、彼が世界の相続者であり、世界を支配する約束の王国を建設し、そして、みすぼらしい生活をしている彼の従者達が、その神の国でイエスと共に支配者となるという彼の主張は、考慮するのも愚かしいことのように思われたのである。

   訓練された戦士を持ち、有能な将軍と巨大な富を持つローマこそ、世界の主であった。そして、それは日毎にその権力を増していった。では、このナザレ人は誰なのか?お金も力もなく、一般民衆の中から貧しい者が従っていく、これらの漁夫達はだれなのか?かつてこの地上で知られた中でも最も雄大な最も力のある、約束された神の国の建設について説く、これらの人々はだれなのか?

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The Masada

    The last outpost of Jewish rebellion in 73 A.D., is the famous location where 960 Jewish zealots chose to take their own lives rather than submit to a life of Roman slavery.


"The Kingdom
of God cometh not with observation"--

Yet it would be everywhere present
and powerful.

The spiritual kingdom
is being set up first
and will be
for a time
unrecognized.

     パリサイ人たちは、主の主張の弱点を暴露しようとし、また、それによってなんとか主の従者に疑惑を抱かせようとして、あなたの教えるこの神の国は、いつしるしを見せはじめるのか?あなたの兵士はいつ到着するのか?この神の国はいつ来るのか?と詰問した。(ルカ172030

   もし、彼らが偏見に捕われず、彼ら自身の知恵によって盲目にされていなければ、それに対する主の答えは、彼らに全く新しい思想を与えていたはずである。彼は、神の国は彼らが期待するような方法では現われないと答えた。彼が教え、そしてまたその王国の共同相続者となるために、彼の従者となることを招いた、神の国は見えないものであって、それを見ることを期待してはならないと答えた。

   イエスは答えて言われた「神の国は見られるかたちで来るものではない」また「見よ、ここにある」「あそこにある」などとも言えない。神の国は実にあなた方の*ただ中にあるのだ言い換えれば、神の国が来る時には、それは至るところに存在し、至るところに力を振るうけれども、目には見えないことを示したのである。

*Diaglott Rotherham
の訳は、これをあなたがたのまん中にと訳している。それはあなたがたの間にと同じ意味なのである。それは、イエスが説いた神の国が、偽善者、白い墓とイエスに呼ばれたパリサイ人たちの心の中に間もなく設立されようとしていると主張する説とは全く相反するものである。この神の国が建設される時には、すべての階級の人々のただ中にまたはに立つであろう。そしてすべての人を支配し、すべての人を裁くであろう。

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     このように、イエスは霊的王国の概念を彼らに与えたのである。しかし、彼らはそれを受け入れる準備が出来ていなかった。後に示すように、定められた時に現われる約束をされた神の国に関するユダヤ人の期待には、ある程度の真理があった。しかし、主はここで、目に見えない御国の霊的部分について語っているのである。

   御国のこの部分が最初に打ち立てられ、その存在は目に見えず、又しばらくの間は存在を認められない。神の国のこの霊的部分で相続者となる特権は、その時、提供された唯一の賜物であり、その時始まった福音時代の全期間中、私達の高い召しの唯一の希望であった。(ルカ1616)だから、イエスが語ったのは、このことなのである。これについては、先に進むにつれてもっと明白に分るであろう。

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Jesus healing

    ニコデモとイエスの会話

ニコデモが、神の国の謎を解きたいと思ったが、そのようなことが彼の心に重きを置いていることが公になるのを恥じ、夜、イエスの所に来たということは、多分、一般の、特にパリサイ人の間に広まっていたイエスに対する悪感情のためであったのだろう。

  主とニコデモの会話(ヨハネ3)は、一部分しか記録されていないが、神の国の性質に関して、少なからぬ暗示を与えてくれる。明らかに、その会話の要点は述べられているので、私達はそこから全体の趣旨を難なく推測することができる。それを次のように言い換えよう。

ニコデモ――先生、私達はあなたが神から来られた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにも出来はしません。しかし、あなたが語ることのある部分は、私には非常に矛盾しているように思われます。だから私は、その説明を求めに来たのです。

 例えば、あなたとあなたの弟子達は、天国は近づいたと公言して歩いておられますが、あなたは軍隊も富も権力も持っていない。私達の目に映るものすべてのものから判断すれば、その主張は偽りであって、あなたは人々を欺いているように思えます。パリサイ人達は、一般にあなたをペテン師だと見なしています。でも私は、あなたの教えには何らかの真理があるばずだと考えます。

神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにも出来はしません。私の訪問の目的は、あなたの公言する神の国がどんな方法で、いつ、どこから建設されるのかを知ることです。

"Begotten"
and "Born"
of the spirit
イエス――天国について十分に理解したいというあなたの要求に満足のいくように、今、答えることはできません。私が十分に理解していないからではなく、たとえ私が十分に説明しても、現在のあなたの状態ではそれを理解することも、悟ることも出来ないでしょう。だれでも、上より新しい*命を与えられなければ、神の国を見る(ギリシャ語で**eidon――知る、親しくなる)ことは出来ない。私の弟子達でさえ、自分たちが宣べ伝えている神の国の性質に関して、非常に不明瞭な概念しか持っていません。
*gennaoというギリシャ語とその派生語は、ある時には命を与えられる(begotten)、ある時には生まれる(born)と訳される。この言葉は、両方の概念を含み、それが使われる文章の意味に応じて、その両方の言葉に訳される。命を与えられる、と生まれる、という二つの概念は、常にその言葉の中に存在し、片方の言葉が使われる時、常にもう片方の言葉がその背後にある。ちょうど、誕生が与えられる(begetting)結果として起り、命が与えられることは誕生に先立つのと同じである。
ennaoとして関わる活動体が男性である場合は命を与えられると訳され、それが女性である場合は生まれるとして訳されるべきである。だからⅠヨハネ
2
293
9475118
gennaoは、命を与えられるである。なぜなら、神(男性)が、そこでは活動体であるからである。
しかし、しばしばその訳は、その働きの性質が男性であるか、女性であるかによって異なる。~から(
fromまたはout of)を意味するekeと一緒に使われる場合は、生まれると訳されるべきである。だから、ヨハネ356
gennaoは、ekeという言葉によって示されるように――水から、肉から、霊から――生まれると訳されるべきである。

 

**この同じギリシャ語の言葉は、使徒行伝156では考えると訳される。使徒たちや長老たちがこの問題について考える(知る、または理解する)ために集った。同じ言葉がロマ1122では、見ると訳されている。神の慈愛と峻厳を見よ(考える、または理解する)。Ⅰヨハネ
31では、どんなに大きな愛を父から賜ったことかよく考えてみなさい。

 

How can a man
be begotten
when he is old?

 

Repentance
is not the
new birth.

Spiritual begettal precedes
spiritual birth.

   私は、あなたにそれを語ることが出来ないのと同じ理由で、彼らにそれを語ることが出来ません。彼らも、あなたがそれを理解できなかったと同じ理由で、それを理解することが出来ませんでした。

   でも、ニコデモ、神が世と関わる特色の一つは、もっと光を与える前に、すでに与えられている光に対して従順であることを、神は要求されるということです。

   そして、神の国の後継者としてふさわしいと見なされる人々の選択に際して、信仰を身をもって表わすことが要求されることです。それらの人々は、ただの一歩先のみをはっきり見ながら、神の導きに一歩一歩喜んで従うような人でなくてはなりません。

ニコデモ――でも、私にはあなたが理解できません。それはどういう意味ですか?人が年をとってからどうして命を与えられることが出来るのですか?人は再び母の胎内に入り、そして生まれるのですか?浸礼者、ヨハネによって説かれ、水によるバプテスマによって示される悔い改めは、何か誕生のシンボルのようなものだとおっしゃるのですか?私はあなたの弟子達が、同じように神の国を説き、洗礼をさずけるのを見ました。これがあなたの説く神の国を見、それに入ろうとする人々に必要な新しい誕生なのですか?

   イエス――私達は、聖別された国民、契約の民です。みんなエジプトを出た時、海と雲によってモーゼにつくバプテスマを受けたのです。神はシナイで、彼らの契約の仲保者、モーゼを通して彼らを受け入れました。

   でも、彼らはその契約を忘れ、ある人々は公然と取税人や罪人としての生活を送り、他の多くの人々は、自らを義とする偽善者です。だからヨハネの教えと私の弟子達の教えは、神に帰り、過去になされた契約を再認識する悔い改めを説くものです。

   そしてヨハネのバプテスマは、この悔い改めと、心と生活態度の改革を意味するものであって、新しい誕生ではありません。しかし、それ以上のことを理解しなければ、神の国を見ることは決して出来ないでしょう。

   悔い改めは、あなたを義と認められる状態に帰し、その状態にいて初めて、あなたはモーゼの本体であるメシヤとして私を認めることが出来るでしょう。こうして私に献身することにより、あなたは父から神の性質に至る新しい命を与えられるでしょう。

   もし、この命が成長し、活かされるならば、あなたは最初の復活において、新しい被造物、すなわち霊的存在として確実に誕生するでしょう。そのようにして、あなたは神の国を見るのみならず、神の国を受け継ぐ者となるでしょう。

   ニコデモよ、この新しい誕生が及ぼす変化は、実に偉大なものです。というのは、肉から生まれるものは肉であり、霊から生まれるものは霊だからです。

   私が最初に述べたこと、すなわち、あなたが尋ね求めることを知り、悟り、理解する前に、上から命を与えられなければならないと言ったのを疑ってはなりません。

   あなたがたは、新しく生まれなければならないと私が言ったからとて、不思議に思うには及ばない。肉から生まれたあなたの現在の状態と、私が説いている神の国に入り、神の国を築く、霊から生まれた人々の状態との間には、大きな違いがあります。

  では霊に生まれ、この神の国を築く存在者について、あなたが多少とも知ることが出来るように、例をあげて説明しましょう。

風は思いのままに吹く。あなたは、その音を聞くが、それがどこから来て、どこへ行くかは知らない。霊から生まれる者も、みなそれと同じである。

  風があちこちと吹き、あなたのまわりに影響を及ぼしても、それがどこから来てどこへ行くのかあなたは知りません。

   この例えは、復活の時、霊に生まれる人々、すなわち私が今説いている神の国に入り、それを築く人々のことをよく表わしています。彼らも風のように、見ることはできません。

   そして霊から生まれたのではない人間には、彼らがどこから来てどこへ行くのかを知ることはできません。

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Elisha and his Servant

ニコデモ――目に見えない存在とは、どのようなものですか?

イエス――あなたは、イスラエルの教師でありながら、これくらいのことがわからないのか?他人を教えようとするあなたは、エリシヤとその僕のことを、また、バラムのロバのことを読んだことがないのですか?

このこと、すなわち霊的存在者は人間の間に存在し、しかも目に見えないということを説明する聖書の中の多くの実例を知らないのですか?

しかもあなたは、霊的存在者としての御使いを信じると自認するパリサイ派の者ではありませんか?しかし、このことが、私が最初にあなたに語ったこと、すなわち上から新しい命を与えられなければ、誰も神の国とそれに関わる様々なことを見る(知る、親しむ、理性的なものとして理解する)ことは出来ないということを表わしています。

"The wind bloweth where it listeth, and thou hearest the sound thereof, but canst not tell whence it cometh, and whither it goeth:
so is every one that is born of the Spirit." John 3:8

 

What is
spirit begettal?

 

 

 

 

 

 

 


*The words "which is in heaven" (verse 13) are not found in the most ancient and reliable MSS.

 

   もしあなたが、私が告げる神の国に入り、私と共に相続者となりたいならば、一歩一歩、光に従って歩かねばなりません。そうすることによって、あなたの神の国への準備の速度に従って、もっと光が与えられることでしょう。私はあなたがたが今、理解できることを教え、奇蹟を行い、あなたはそれを見て、私が神から来た教師であることを認めるにもかかわらず、信仰を行動で表わし、公に私の弟子となって私に従って来ません。

   あなたが見ていることに従って行動するまでは、それ以上見ることを期待すべきではありません。あなたが見るものに従って行動する時、神は、次の一歩への光としるしを与えられるでしょう。

よくよく言っておく。私達は、自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたは、私達のあかしを受け入れない。私が地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。

  私があなたに天のことを語っても無駄でしょう。あなたは理解せず、私の教えはあなたに愚かなことに見えるのですから。この世の性質に属し、この世のことによって示される私の教えが、もしあなたを説得し、弟子として公然と私に従わせるのに十分でないならば、ましてあなたの知らない天のことを語っても、あなたを納得させることは出来ないでしょう。

   なぜなら、誰もかつて天に昇ったことはなく、従って誰も私の証言に確証を与えることは出来ないのですから。天からおりてきた私だけが天的なことを理解し得るのですから。天から下ってきた者、すなわち、人の子のほかにはだれも天にのぼった者はいない。

  天的なものの知識は、霊の命を与えられた後にのみ得られ、天的なものそれ自体は、霊的存在者として霊に生まれる時にのみ得られるのです。

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Jesus taught
about an earthly
kingdom.
     ここで分るように、偏見と教育とによって、神の国の地上的部分の曲解以外には何も見えなくされてしまった人々に、神の国を知らせようとした主には、大変な忍耐が要求された。

  特別にイスラエルのために提供された7年間の間には、イスラエルからはごくわずかしか選ばれなかったけれども、メシアの国を相続するためにふさわしいクラスの選択は進められた。神が予知したように、彼らにはまだその準備が出来ていなかったことと、それを把握し、提供された状況に従うことが出来なかったことによって、メシヤの国を相続する権利は、ほんの少数者がこれを受けただけで、国民としてのイスラエルを通過し、主の御名を負う民を選ぶために、異邦人に移されてしまった。

   そして異邦人の間でも、ごく小数の――小さき群――のみが、その特権を理解し、メシヤの国とその栄光の中で共同相続者にふさわしいものと見なされるのである。

The kingdom
of God
has not yet
reigned on earth.

 

     名目上のキリスト教会に導入された誤りは、大変深刻であった。それは、この約束の王国が単に、現在の状態における名目上の教会だけを意味し、その王国の働きは、単に信者の心の中にだけ働く恵みであるとするものであるものであって、この世と名目上の教会の不潔な同盟を見て、神の御心が天に行われるごとく行われる地上の天国であると、多くの信徒が信ずる程に、この誤りは極端に達したと言うべきである。

   教会が神の国であり、恵の業は、今信者の心の中に進行しつつあるということは確かである、しかし、これが真理のすべてと考え、地上において未来に建設されるべきまぎれもない神の国を否定することは、私達を世に勝たせる励ましと助けのために、主と使徒と預言者とによって伝えられたもっとも力強い、最も明白な約束を無効にし、無意味にするものである。

Christian allegiance.

 

 

 

 


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Christ's earthly kingdom will reach the whole earth.

    主のたとえ話の中で、教会はしばしば神の国と呼ばれている。使徒も、神は暗黒の国から私達を移して御子の国へ至らせたと語って、それが現在、キリストが支配する神の国であることを示している。私達、キリストを信ずる者は、キリストが買い取った支配権を現在認めるまで、キリストが強制的にこの地上に御国を建設する前に、感謝をもって、自ら進んでキリストに従うのである。

   私達は、キリストが実施する義の律法と、現在この世の君である略奪者が支持する暗黒の国との違いを知っている。こうして、神の約束に対する信仰は私達を変え、新しい王の支配下に服従させる。そして、その王の恵みによって、力と栄光のうちに建設されるべき御国で、彼らと共同の相続者となるのである。

しかし、この事実は、海から海まで治め、川から地の果てまで治める。(詩篇728)諸国の者はみな彼に仕え、かつ従う。(ダニエル727)天上のものも、地上のものも、あらゆるものが彼に向ってひざをかがめる(ピリピ210)などという終局的なキリストの国の約束を無効とするものではなく、むしろ現在小さき群が選ばれつつあるということが、それらの約束を確実なものとしている。

"He said therefore,
‘A certain nobleman went into a far country
to receive
for himself
a kingdom
and to return.’"
Luke 19:12

 

     主のたとえ話を注意深く調べると、神の国の到来、または建設が未来に属するものであること、すなわち当然、その王が来るまでは実現しないと教えていることが分かるであろう。ある身分の高い人が王位を受けて帰ってくるために、遠い所へ旅立つというたとえ話(ルカ191115)などがはっきりと、キリストの再臨の時、神の国が建設されることを示している。

   ずっと後になって、主から教会に送られたメッセージは、死に至るまで忠実であれ、そうすれば命の冠を与えよう。(黙示録210)ここから彼と共に支配する王たちは、この世において支配するのではないことが明らかである。

God’s kingdom
is not yet set up
in glory and power.

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     だから、現在の教会は力と栄光のうちに建てられた神の国ではなく、初期の胎児の状態にある。神の国に関するすべての新約聖書の記述は、そのように教えている。その天国は今、世界の手中にあって、激しく苦しみ、その王は虐待され、十字架につけられ、その王の御跡に従う者はだれでも何らかの形で迫害と虐待行為とに苦しんでいる。

   これは真の教会にのみ言えることであって、名目上の教会には言えない。しかし、もし今、私達(教会すなわち神の国の胎児)がキリストと共に苦しむならば、定められた時に、キリストが偉大な力と支配とを振う時には、私達も栄光を与えられ、キリストと共に支配するということを約束は示している。

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Parable of the Publican  and Sinner

 

 

 

 

 

"And again
I say unto you,
It is easier
for a camel
to go through the eye of a needle, than for a rich man to enter into the kingdom of God." 
Matthew 19:24

     ヤコブ(25)は、主の教えと一致して、この世の規準に従えば、貧しい者、見下げられている者を神は選んで現在、この世を支配するためにではなく、約束の御国の相続者とされつつあると語っている。財産のある者が神の国にはいるのはなんとむずかしいことであろう。(マルコ1023

   これが今日、世界に行きわたっている名目上の教会を意味しているのではないことは明らかである。なぜなら、名目上の教会は競って富めるものを歓迎しているからである。ペテロは、兄弟たちよ、それだから、ますます励んであなたがたの召しと選びとを確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない。

   こうして、私達の主、または救い主イエス・キリストの永遠の国に入る恵みが、あなたがたに豊かに与えられるからである。ペテロ11011)と言って、御国の相続者に忍耐、我慢、徳、信仰を持つことを勧めている。

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Needles Eye Gate --
Humans could pass through easily; but large animals, such as camels, had to be unloaded and kneel to get through.

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Jaffa Gate -- Located at the west side of Jerusalem, the Jaffa Gate has a "needle’s eye," a small opening used as a security entrance at night when the large gate was safely shut.

Christian liberty    ロマ1417のパウロの言葉は、ある人々によって、象徴的な御国をさすものと考えられている。しかし、文脈に照らして調べると、それは単に次のようなことを意味していることが分る。すなわち、今や神の愛する御子の国に移された私達は、かつてユダヤ人として律法の下にあった時、持たなかったような食べ物、その他に関する自由を持つ。(14節)

   しかし、もしそれを知らない兄弟につまずきとなり、良心の妨げとなるならば、この自由を使わない方がよい。食べ物に関する私達の自由によって、兄弟を滅ぼしてはならない。キリストは彼のためにも死なれたのである。

   しかし、現在及び未来の御国の特権は、食物の自由よりもっと偉大な祝福、すなわち善を行い、キリストによって神に対して平和を保ち、神の聖霊にあずかるということに関する自由を含んでいることを心に留めておこう。御国(現在と永遠)の自由は、実に高大なものであって、現在、食べ物に関するような小さな自由を兄弟のために犠牲とするのは当然である。

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Christians must be
overcomers
to sit with Jesus
in His Father's throne and reign
over the nations
of earth.

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Overcoming  requires death in the Lord's service.

     このように、いかなる聖書的見地から眺めようとも、御国の約束は神話的欺瞞や、或いは現在の私達の状態がこれらの約束を成就するものだという概念は矛盾していることがわかる。

初代教会にとっては、御国の誉れ、及び主と共同の相続権を与えるという約束が、当時の試練と迫害の下で――それを予期するようにあらかじめ警告されていた――忠誠を守り通すための強力な刺激となった。

 ヨハネの黙示録の七つの教会に与えられた慰めと励ましのことばの中で、勝利を得る者には、私が勝利者となり父の御座についたように、私と共に私の座につかせよう。勝利を得る者には国々を支配する力を与えよう。よりも明るく強力に輝く約束はない。

     これらの約束は、現在、人々の心の中に適用されるものであると誤解することも、現在の国々に対する支配権であると誤解することも出来ないというのは、勝利を得る者は、死によってそれをするのであり、そうして御国の誉れを獲得するからである。(黙示録206

"Now ye are full, now ye are rich,
ye have reigned
as kings
without us:
and I would to God ye did reign,
that we also might reign with you."
I Corinthians 4:8

 

 

 

 

 

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Paul preached that
present suffering
would be followed
by future reigning.

     しかし、人間の性質は、苦しみを避け、しかも誉れと力を得たいと願う。だから使徒の時代でさえも、教会の中のある者は、未来の誉れと力の約束を、現在の生活に適用し、あたかも世界が教会に誉れを与え、教会に従う時がすでに到来したかのように行動し始めたのを見る。使徒パウロは、そのような概念はプライドを育て、犠牲から遠ざけ、教会に悪影響を及ぼすことを知って、この誤りを正している。彼は皮肉をこめて言う。

   あなたがたは、すでに満腹しているのだ。すでに富み栄えているのだ。私達をさしおいて王になっているのだ。そして更につけ加えて熱心に、そうであったなら、私達(迫害された使徒達)も、あなたがたと共に王になれたであろう。コリント48

   彼らはキリスト教から逃れて、また、キリスト教と共に、出来る限りの誉れを得ようとすることによって、彼らのキリスト教を謳歌していたのである。使徒は、もし彼らが主の従者として忠実ならば、そのような状態にはなり得ないことを知っていた。

   だからもし、長い間期待されてきた支配が確かに始まったのなら、パウロもまた、彼らに劣らず支配すべき者であること、彼も真理への忠誠のために苦しんだ者であることを彼らに思い起こさせているのである――ということは、

彼らの支配がまだ未熟であって、栄光ではなく、むしろわなであることの証拠なのだが。そして皮肉をこめて彼はつけ加える。私達(使徒と忠実な僕)は、キリストのゆえに愚かな者となり、あなたかたはキリストにあって賢い者となっている。私達は弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊ばれ、私達は卑しめられている。

  私は、これらのことを単にあなたがたを恥ずかしめるために書くのではない。私には、あなたがたに警告すべき立派な目的がある。現在の誉れの道は、現れるべき未来の栄光と誉れに導かないからである。しかし、現在の苦しみと自己否定は、栄光と誉れと不滅と御国の共同相続権へと導く狭き道である。

   だから、私はあなたがたに勧める。私にならう者となりなさい。今、苦しみ、ののしられ、迫害されなさい。公平な審判者である主が、その日に私に授けてくださる命の冠を、私と共に分ち合うためである。それは、私だけに授けられるものではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。(コリント4107テモテ48

The true church has not yet reigned over the earth.

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The Pope crowning Charlemagne

     しかし、初代教会が多大な迫害に忠実に耐えた後、教会の働きは、この世を克服し、地上に天国を建設し、主の再臨の前に国々を支配することであるという理論が広がり始めた。これは、この世的、陰謀、虚飾、プライド、これみよがしの見せかけや儀式を教会の中に築き、それが世俗的人々を印象づけ、魅惑し、威圧するために使われるようになった。

   そして少しずつ、法王制度は地上の神の国として尊敬され、教皇の律法とその教職者にすべての種族、すべての国、すべての民を服従させる権利を持つと主張するまでになった。この偽りの主張の下に(彼らは他人を欺くと共に彼ら自身をも欺いている)法王制度は、しばらくの間、ヨーロッパ諸国の王権を与えたり、奪ったりした。そして法王制度は、執行することが出来ない権威を未だに主張している。

 

 

 

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     この同じ概念は、法王制度を通してプロテスタント主義に伝えたれた。プロテスタントも、もっと漠然とではあるが、教会の支配は進行しつつあると主張し、その信棒者は、主が写実的に述べたように(黙示録31718)、コリント人同様に満腹し、富みそして王として支配しているのである。このように、教会の単なる名目上のメンバーは――実際には改心しない者、すなわち、麦ではなく毒麦、すなわち麦の模造品であるにすぎず――キリストの真の弟子より、はるかに数において多いのである。

   これらの人々は、あらゆる真の犠牲や自己否定に反対し、義のため、真理のために迫害を忍ぶことをしない、せいぜい、ただ、断食などの形式にのみ踏みとどまるにすぎない。彼らはこの世と共に支配しているのであり、主の再臨に際して主によって建設される真の御国を受け継ぐために準備しつつあるものではない。

There can be
no kingdom
without a king.
     この見解と、イエス及び使徒達の教えとの間には、明白な不一致が存在する。イエスと使徒達は、王が来るまで御国が来るはずはないと教えている。(黙示録206321テモテ212)だから、御国が権力と栄光をもって建設されるまで、虐待を受けねばならない。
"To him that overcometh
will I grant
to sit with me
in my throne,
even as I also overcame,
and am set down with my Father
in his throne." Revelation 3:21

神の国の二つの部分

主が語ったように、神の国は、目に見える形で来るのではない――最初は姿を現わさない――のは事実だが、定められた時には、外見的に見え、間違うことのできないしるしによって、すべての人々に現わされる。神の国が完全に建設される時には、それは二つの部分、すなわち霊的、または天的な部分と、地上的、または人間的部分とから成るであろう。

 霊的な部分は、それを形成するものが神性、または霊性であるので、常に人間の目には見ることができない。それはだれも見たことがなく見ることも出来ないのである。(テモテ616、ヨハネ118)しかし、その存在と力は、主として神の国の地上的部分を形成する人間の代表を通して、力強く発揮されるであろう。

 

 

 

 

 

 

     御国の霊的部分を形成するものは、福音時代の勝利を得る聖徒である――すなわち、栄光に輝くキリスト、その頭と体である。彼ら復活とその賞揚とは他のすべての者に先だつ。なぜなら、このクラスを通して他のすべての者が祝福されることになっているからである。(ヘブル113940)彼らの復活は第一の復活である。(黙示録205)*

*黙示録205にあるそれ以外の死人は、千年の期間が終るまで生き返らなかったという言葉は正しくない。というのは、その言葉は最も信頼できる最古のギリシャ語の写本、シナイ、バチカン第1209号及び第1160号にも、シリヤ写本にも見られないからである。

聖書の近代版に見られる多くの節が追加されたものであって、聖書に属するものではないことを私達は記憶すべきである。神の言葉につけ加えてはならないと戒められいるので、偽造された個所を見つけるや否や、それを排除するのは私達の義務である。この言葉は多分、5世紀ごろ、偶然に本文中に入りこんだのであろう。それ以前の写本には、この節が含まれていないからである。

多分、最初はその節に関する個人的意見として、一読者によってなされた欄外の注釈だったのだろう。そして後に本文との区別をすることの出来ない他のだれかによって本文中に書き込まれて書き写されたのであろう。

しかし、この節の排除は、ここに示されている計画にとって必要ではない。というのは、それ以外の死人――世界一般――は、完全な意味では、アダムが罪を犯し、きっと死ぬであろうとの宣告を受ける以前に生きたような完全な命を再び回復するのではないからである。

弱点も死もない完全な命だけを神は命と認めるのである。この意味では、世界のすべての人は、すでに命を失い死んでいるのである。従って正確には、生きているというより、死んでいるとみなされてもよいのである。(コリント1514、マタイ822

復活という言葉(ギリシャ語anastasis)は、起こすという意味である。人間に関して言えば、堕落した状態からアダムによって失われた完全な人間性へと起き上ることを意味する。堕落した人類が失った完全性は、回復または復活の千年の間に、次第に起こされる完全性である。

千年時代は、試練の時であるばかりでなく、祝福の時である。命への復活、または回復を通して、この好機を知り、それを捕え、喜んで従うすべての者に、失われたものはすべて回復させられる。復活の過程は、その十分な達成には千年全期間を要するゆっくりとしたものである。

現在、私達が享受しているような命と意識の自覚は、勿論、瞬間的ではあるけれども、千年が終るまでは、人類はアダムが失った完全な命を十分に取り戻すことは出来ない。完全な命に欠けるものは、部分的には死の状態であるので、上の言葉は、霊感を吹き込まれた記録の一部ではないけれども、それ以外の死人は、回復と祝福が完成する千年の終りまで生き返らなかった(失った命を十分に取り戻さない)ということは、厳密には真理である。


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What does "resurrection"
mean?

 

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"Marvel not at this: for the hour
is coming, in the which all that are
in the graves shall hear his voice, and shall come forth;

"They that have done good, unto the resurrection
of life; and they that have done
evil unto the resurrection
of judgment (Greek "krisis")."
John 5:28,29

 

 

 

The kingdom work of Jesus
and the Church

 

Who are the "Ancient Worthies"?

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Abraham

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Jewish hope --
Believing that God’s Kingdom would be established in Jerusalem and all nations would come to the "house of the God of Jacob," Jewish tombs thickly cover the slopes of Olivet, giving evidence to the Jewish faith in God’s promises of a kingdom and the resurrection of the dead.

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Moslem hope --
When Messiah comes, he will enter Jerusalem through the Golden Gate; hence, the resurrection and judgment will begin from here.
Those who cannot walk the line of justice will fall into the Valley of Death below.  Moslem tombs  surround the Golden Gate,
waiting for the Messiah.

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Christian hope --
A Christian cemetery lies in the Kidron Valley between the Jewish cemetery (on Mt. Olivet to the east) and the Moslem cemetery (on Mt. Moriah to the west).   
When Christ returns, he will judge the world in righteousness.

   この栄光ある油そそがれた群れ――キリスト――の前に置かれた偉大な業は、彼らの神性への賞揚を必然の結果として伴う。神性の力を別にしては、それを成し遂げることが出来るものはいないからである。彼らの仕事は、この地上に属するものばかりではなく、天においても地においても一切のもの、すなわち霊的、及び人間的存在者に属する一切のものに関わるのである。(マタイ2818、コロサイ120、エペソ110、ピリピ210コリント63

    神の国の地上的部分の事業は、この世界と人間のことに限られる。この仕事にあずかる名誉は、人間の中でも神から最も高められ、名誉を与えられた人々のものである。これらの人々は8章(145ページ)で述べられているクラスであって、彼らのさばきの日は、福音時代以前にあったのである。

   すでに試され、忠実な者とされているので、目覚める時、彼らは再びさばかれることはなく、すぐに彼らの忠誠に対する報酬を受けるであろう。――すなわち、人間としての完全性に瞬間的に復活するであろう。(これらの人々と霊的クラスに属する人々を除けば、他の人々は、千年時代の間に徐々に完全性へと起こされるのである。)このように、このクラスに属する者は、すぐにキリストの人間的代理として、残りの人類を回復し、祝福する仕事にたずさわることが出来るであろう。

   キリストの事業を達成するためには、霊的性質が必要であるように、人間の間でなされるべき事業を達成するためには、完全な人間性が充当される。これらの人々は、人間の間で教え、人間の目で見えるであろう。彼らの完全性の栄光は、常に模範となり、他の人々が同じ完全性を獲得したいと努力する刺激となるであろう。

   これらの古代の聖人たちが神の国の人間的部分で、人類から見られるということは、イエスを否定した不信のユダヤ人へのイエスの言葉によって十分に証明されている。イエスは言うあなたがたは、神の国でアブラハム、イサク、ヤコブ及びすべての預言者を見るであろう。ここで注目すべきことは、主ご自身やその弟子達もアブラハムと共に見るであろうと主が言っていないことである。

   当然のこととして、人間は、御国の地上的部分を見、、地上的部分と交わる。しかし、霊的部分を見たり、それと交わったりすることは出来ない。その時、そのうちのある者は、それ程偉大な名誉を拒否し、、それを遂に逃したことを疑いなく痛く悔いるであろう。

How will the
two phases
of the kingdom
operate?

 

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Moses

     私達は、天国のこの二つの部分が、どんな方法で調和して働くのかについての正確な知識を与えられていない。しかし、私達には、イスラエルを代表するモーゼ、アロン、ヨシュア、預言者などを通してイスラエルと神が関わりを持った方法の例証がある――来たるべき時代の事業は、すべての死人の覚醒と完全な従順への回復を包含するものだから、来たるべき神の力の現れは、模型的時代のそれよりもはるかに優れたものであるのは言うまでもない。

   この事業は、彼らが物事の状態を正しく指導することが出来るためには、人間の中に、完全な人間が支配的位置につく完全な支配体制を確立することを必然的に伴うであろう。また、あらゆる性質の正しい教育機関と様々な種類の博愛手段の設置を必然的に伴うであろう。

   確かな、着実な手段によって、このように人類を高める高尚な事業(同じ御国の目には見えない霊的なメンバーの指導下において)は、古代の聖人達が任命される高い名誉である。そして彼らは、この世の最終的破滅と、この世の王であるサタンの捕縛を待って、すぐに準備をととのえてその目的のためにやって来るであろう。神の命を受けた天国の代表者として、彼らは、すべての国民の尊敬と協力を受けるであろう。

When mankind stands holy
and righteous
at the end
of the 1,000 years, the kingdom
will be returned
to God.

     満たされる地上的祝福

神の国の地上的部分に位置を得ることは、完全な人間の心のすべての願いと望みとを満足させることである。地上の神の国に一歩足を踏み入れる時から、すでに栄光と満足が与えられるが、時が進み、祝福の事業が行われるにつれて、その栄光は増大する。

そして千年の終りに、キリストによって偉大なる回復が達成される時(大部分はこれらの高貴な人間の協力者を通して)全人類(手におえないような頑固な人を除いて――マタイ2546、黙示録209)がエホバの前に、しみもしわもそのあとかたさえもないものとして立つ時、この事業の手足となった人々は、彼らの同胞の間で輝き、神とキリストと天使の前に星のようになって永遠に至るであろう。

 123)彼らの愛の働きと労働は、恩を感じる同胞によって決して忘れられることはなく、彼らは永遠に覚えられるであろう。(詩篇1126

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     しかし、御国の地上的部分を形成するこれらの完全な人間の増大した栄光がいかに偉大であろうとも、天的な栄光はそれに勝る栄光である。前者は星のように永遠に輝き、後者は太陽のように大空に輝くであろう。(ダニエル123

   天上の栄光も、地上の栄光もことごとくキリストの足もとに置かれる。永遠の世々を通して、キリストによって現わされようとしている栄光は、人間の心ではとても理解することは出来ない。(ロマ818、エペソ2712

The earthly seed and the heavenly seed of Abraham’s promise

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    アブラハムへの約束が確実なものとされるのは、御国のこれらの二つの部分を通してである――あなたとあなたの子孫によって、この地上のすべての家族は祝福されるであろうあなたの子孫は浜べの砂のように、天の星のようになるであろう――この両方の子孫がこの世界を祝福する神の手足となる地上的、天的な部分である。

   この約束の両方の部分は、はじめから神によって明らかに知られ、意図されていたが、アブラハムが見たのは、地上的子孫だけであった。そして神は、自然的子孫の中から霊的クラスの頭(使徒、その他)を選び、最高の祝福、すなわち天的召しへの霊的祝福をアブラハムの国民のすべてに提供したが、これはアブラハムがその契約中にとうてい見ることが出来ないような恵の中の恵みであった。

The earthly (human) and heavenly (spiritual) resurrection      パウロは(ロマ1117)アブラハムの契約のことを語って、肉的イスラエルがそこから自然にはえ育ったが、不信仰のゆえに切り去られ、異邦人がその信仰のゆえにそれにつがれたのであると言っている。これは、御国の二つの部分を形成する地上的(人間)と天的(霊)との二つの子孫の成長における約束の二重の成就を証明している。

   根としてのこの契約は、この二種類の異なる枝を持ち、その各々は復活の時、各々の異なる種類の完全な果実――御国における人間的と霊的クラス――を結ぶ。成長の順序に従えば、最初は自然的(地上的)、次に天的な支配者が来たが、地位と時間の荘厳の程度に従えば、最初は霊的、次に自然の支配者が来るであろう。だから、後のものが先になり、先のものが後になるのである。(マタイ1930、ルカ1616

Stephen’s sermon shows that Israel was yet to receive their earthly promise.

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This gate is traditionally
the location
where Stephen
was stoned
while giving his
sermon of  Acts 7.

  ステパノが言及し、イスラエルが信じたアブラハムへの約束は、地上的なものであって、土地に関する約束であった。神が彼に所領として与えられた約束とステパノは語っている。神はアブラハムに言った目をあげてあなたのいる所から北、南、東、西を見わたしなさい。すべてあなたが見わたす土地は、永久にあなたとあなたの子孫に与えます。(創世記131417)ステパノは、この約束がこれから成就されるべきものであることを指摘している。というのは、神はアブラハムに遺産となるものは何一つ、一歩の幅の土地すらも与えなかったと断言しているからである。
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Stephen’s Gate --
On the east side of Jerusalem is Stephen’s Gate, also called "The Lion’s Gate" because of the carvings of lions in the stones above.

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The Church’s completion
must precede
Israel’s receiving
the promise.

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Tombs of Abraham, Isaac and Jacob
in Hebron

     この同じ古代の聖人クラス――アブラハムの他――のことを書いている使途パウロは、アブラハムの約束はまだ成就していないというステパノの意見に同意している。彼は更に一歩進んで、この地上的約束は、キリスト(頭と体)に関するもっとも高い天的約束から成就されるまでは、成就されないことを示している。

   彼らのことをパウロは次ぎのように言う:これらの人々はみな、まだ約束のものは受けていなかったが(約束は成就されていなかったが)信仰をいだいて死んだ。神は私達のために、さらに良いもの(キリスト)をあらかじめ備えて下さっているので、私達を他にしては彼らが全うされることはない。(ヘブル11133940

   このように、救い主と回復者は、すべての人々のために人間性を犠牲としてささげた霊的存在者であること、だれがその手段または代理として誉れを受けようとも、彼らが高められる時に、この霊的クラスからすべての祝福は始まらねばならないことが再び示されている。(ロマ121、ガラテヤ329

Israel’s prominence
in the earthly kingdom

 

 

"And it shall come to pass in the last days, that the mountain of the LORD’s house shall be established in the top of the mountains, and shall be exalted above the hills;

And all nations shall flow unto it.
And many people shall go and say, ‘Come ye, and let us go up to the mountain of the LORD, to the house of the God of Jacob;

And he will teach us of his ways,
and we will walk in his paths:
For out of Zion shall go forth the law, and the word of the LORD from Jerusalem..."
Isaiah 2:2,3

     このように、御国の地上的部分は、イスラエル的なものと見ることが出来る。この事実に関して、倒れた幕屋が回復され、エルサレムが全世界のほまれとなる時、世界を祝福する神の計画の中で、イスラエルが卓越するであろうと述べる多くの預言が集中する。私達は、預言者及び使徒による次のような明白な記述を見る。

   すなわち、回復の時、国としてのイスラエルは、新しい物事の秩序と調和に入る最初の国であること、地上のエルサレムは、その古い廃墟の上に再建されること、その体制は王や士師たちの下にあった最初の頃と同じように回復されることである。(イザヤ126、詩篇4516、エレミヤ3018

   イスラエルこそ、先ず最初に預言者や族長を認めて喜ぶべきであること、律法に親しみ、律法の下に訓練されたイスラエルは、御国の政治機関と権威に従う準備が出来ているはずであること、それ以上に何をもっと期待できようか?イスラエルが最初に祝福されるべき国である一方、イスラエルに関しては、主はユダの家を最初に救われるであろうとも書かれている。

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Ezekiel 47:1-12 identifies this gate as the one through which flows the river of waters of life.

Golden Gate --
The sole eastern gate of the Temple area is kept permanently closed until Messiah comes.
When Jerusalem was rebuilt by Suleiman the Magnificent in 1538-41 A.D., he had the gate sealed in the hope of postponing the "day of judgment" and the end of the world.

 

 

 

 

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Israel's promises
will be fulfilled
in Messiah's
earthly kingdom.

     私達は、イスラエルの失われた部族がどこで見い出されるかについて議論することは重要ではないと考える。一部の人々が主張するように、その失われた部族の足跡を、今日の一定の文明国にたどることが出来るかも知れないし、出来ないかも知れない。

   提示された証明の幾つかは、必ずしも不合理ではないが、全体として考えれば、多分に推論であり想像論であるにすぎない。

   しかし、もし文明国の幾つかが失われた部族の子孫であることが明確に示されても、そのことが彼らには、天的高い召しの下では何の利点もないことを証明するであろう。それは、イスラエルが国として捨てられて以来、ユダヤ人、ギリシャ人、奴隷、自由人の間に何の区別もないことを示しているからである。

   もし、そのような証明が明確にされても(今のところされていないが)イスラエルの国が待っている御国の地上的部分の成就に関する預言や約束と完全に一致するであろう。

   長い間、成就されなかった約束への自然的執着心及び継続的信頼心と、彼らのすべての偏見は、イスラエルが一般的に急速に新支配者を受け入れるのに好都合となるであろう。一方、彼らの律法に従う習慣も、新しい体制の原則と急速に調和する助けとなるであろう。

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The Law will
go forth from Zion,
and the Word
of the Lord
from Jerusalem.
     エルサレムが模型的神の国の下で支配の中心地であったように、再び同じ場所が大いなる王の都となるであろう。(詩篇482、マタイ535)都というのは、国または支配の象徴である。だから神の国は、天から地におりてくる新しい支配、新しいエルサレムによって象徴される。

   神の都は、最初はヨハネが見たように、次第に地上に降りてくるキリストの花嫁である霊的クラスのみから成り立つ。そして、主の日の間に、現在の支配力がこなごなに破壊される時、次第に力を増す。しかしながら、定められた時には、この地上的又は政治的部分は確立され、古代の聖人がそのメンバーとなるであろう。

   この都市政府は二つの都(支配)ではなく、一つの都であり、アブラハムが期待した一つの天的支配、土台の上に立つ都である――すなわち、救い主キリストの義の上に立てられる支配であって、キリストが与えたあがないの価値を明らかにし、以前には罪ある者を許すことが出来なかったように、あがなわれた者を罪に定めることが出来ない神の義の確かさを示す支配である。(ロマ83134コリント311

"Beautiful
for situation,
the joy of the
whole earth,
is mount Zion,
on the sides of the north, the city of the great King."
Psalms 48:2
   栄光ある平和の都!その城壁は、その中に入るすべての人の救いと守りと祝福を意味する。正義の上に築かれたその土台は、決して動かされることがない。その建設者及びその設計者は神である。諸国民が聖なる大路を完全性と神の完全な調和に向って歩み得るのは、この栄光ある神の都(国)から輝く光の中である。(黙示録2124
"In that day
shall this song
be sung in the
land of Judah;
We have a strong city; salvation will God appoint for walls and bulwarks.

"Open ye the gates, that the righteous nation which keepeth the truth may enter in.

"Thou wilt keep him in perfect peace whose mind is stayed on thee because he trusteth in thee."
Isaiah 26:1-3

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     人類が千年時代の終りに完全性に達する時、すでに見てきたように、彼らは神の国のメンバーとして認められ、最初の計画どおりに地上の支配権を与えられる――各自が君主となり、主となる。このことは、ヨハネの象徴的預言に明らかにされている。(黙示録212426

   というのは、ヨハネはその光の中を人々が歩くのを見ただけでなく、そこに王たちが入るのを見たからである。しかし、御国を汚す者はそこに入ることは出来ない。完全に試された者でなければ、この都(国)の一員となることは出来ない。

   欺きと不義のために働くことを愛する者は、その一員となることは出来ない。小羊が永遠の命にふさわしい者として認め、私の父に祝福された者よ、来なさい。そしてあなたのために準備された御国を受け継ぎなさいと言われる者だけがそこに入ることが出来るのである。

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"Walk ye about Zion and go round about her: tell the towers thereof.

Mark ye well her bulwarks, consider her palaces: that ye may tell it to the generation following.

For this God is our God for ever and ever: he will be our guide even unto death."
Psalms 48:12-14

Walls --
The present walls
(much of which are on the site of earlier walls) were built by Suleiman II about 1540 A.D.

The walls extend for
2-1/2 miles, with an average height of
38 feet.

Some of the stones from the wall of the temple enclosure at Jerusalem still exist.

They measure 30 feet long, 8 feet wide and 3-1/2 feet high, weighing over 80 tons.

Josephus tells of 60-foot long stones in the temple of Solomon.

Jerusalem,
literal
and symbolic
   その時、疑いなく実際のエルサレムの都が再建され、多分それが世界の首都となるであろうけれども、多くの預言がエルサレムとその未来の栄光を偉大なる輝きの中で建設される神の国の象徴として語っていることを忘れてはならない。

     エルサレムで象徴される御国の地上的部分の栄光に関して、預言者は次のように生き生きした言葉で語っている。


エルサレムの荒れすたれた所よ、声を放って共に歌え。主はその民を慰め、エルサレムをあがなわれたからだ。
見よ、私はエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。エルサレムと共に喜べ、彼女と共に楽しめ……またその豊かな栄えから飲んで楽しむことができるからだ。主はこう言われる。見よ、私は川のように彼女に繁栄を与え、みなぎる流れのように、もろもろの国の富を与える。
そのとき、エルサレムは主のみ位ととなえられ、万軍の民はここに集まる多くの民は来て言う。さあ、われわれは主の山(国)に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる。われわれに教えられる。われわれはその道に歩もうと。律法はシオン(霊的部分)から出、主の言葉はエルサレム(地上的部分)から出るからである。

 


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(イザヤ5296518661012、エレミヤ317
イザヤ
23


Israel,
literal
and symbolic

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Samaria
"...plant them
upon their land..."

イスラエルになされた未来の祝福の貴重な約束の多くを考え、その約束の正確な成就を期待する時、私達はイスラエルが国民としては、実際的であると同時に模型的であることを記憶すべきであろう。一面において、彼らは全世界の人類の模型であり、従順であれば命を与えられるという律法の契約は、一千年期とそれ以後の時代に世界との間に打ち立てられる新しい契約の模型である。

彼らの模型的契約の下で行われたあがないの血、及びその血をイスラエルの国に適用した祭司は、新しい契約の血及び千年時代の間にこの血を清めと祝福のために全世界に適用する忠実なる祭司の模型であった。このようにイスラエルの祭司はキリストの模型であり、イスラエルの国は、そのために真の犠牲がはらわれ、それに対して真の祝福が来るすべての人類全世界の模型である。

The Law Covenant,
typical of the
New Covenant
     それから、未来の祝福は過去と同様にユダヤ人に最初に、それから異邦人に来る。しかし、ユダヤ人が神の恩恵の優先権を持つということは、時間的問題に関してのみであるということを記憶に留めておこう。その理由は、すでに示したように、彼らの律法の下での訓練の自然的結果によるものである。その律法は、定められた時には、彼らをキリストに導く目的を果す。
Israel will be
a firstfruits
among the nations.

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     律法はキリストの初臨においてはごく小数しかキリストに導かなかったけれども、再臨の時には国民全体として彼らを導き、一国民として彼らは他の国々に先だって初穂となるであろう。最終的には、イスラエルに約束されたすべての祝福は選ばれたクラスにあずかる人々を除き、その国民に実際に成就されるのみならず、地上のすべての家族に原型的に成就されるであろう。

   その支配下に、神はおのおのに、そのわざに従って報いられる……善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも栄光とほまれと平安とが与えられる。なぜなら、神には、かたより見えることがないからである。(ロマ261011

"What then?
Israel hath not obtained that which he seeketh for; but the election hath obtained it, and the rest were blinded."
Romans 11:7


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     使徒パウロは、特に未来のイスラエルへの神の約束の確実さに私達の注目を促し、不信仰によって彼らが何を失ったか、まだ彼らに残されている恩恵は何かを示している。一つの国としてのイスラエルが探し求めていたもの、すなわち神の恩恵と奉仕とにおける最高の地位を得ることが出来なかったのは、プライド、かたくなな心、不信仰のためだと彼は言う。

   パウロはここで、アブラハム以後のすべての世代について語っているのではなく、キリストの初臨の時に生きていた世代のことを語ってるのである。しかし、彼の言葉は最高の恩恵、すなわち神性とイエスと共同の相続権への高い召しを提供された、福音時代の間に生きるすべての世代に適用されるであろう。国としてのイスラエルが認めることが出来ず、捕えることが出来なかったのは、この恩恵である。そして神は異邦人を訪れ、福音を通して彼らの多くを召したけれども、肉的イスラエル同様、彼らも天的賞与を得ることに失敗するであろう。

   しかし、召されたすべての人々の中から、一つのクラス、残りの者、小さき群がその召しに心をとめ、従順と自己犠牲によって、その召しと選びを確かなものとするであろう。こうして国としてのイスラエルが得ることに失敗し、また名目上の教会が得ることに失敗したものは、霊の聖別と真理への信仰を通して、選ばれたクラス、忠実なキリストの体に(神の予知に従って)与えられる。(テサロニケ213ペテロ12

"And they also,
if they abide not still in unbelief, shall be grafted in: for God is able to graft them in again.

"For if thou wert cut out of the olive tree which is wild by nature, and wert grafted contrary to nature into a good olive tree: how much more shall these, which be the natural branches, be grafted into their own olive tree?" Romans 11:23,24

 

    しかし、メシヤを否定したことによって、イスラエルはこの特別な恩恵のすべてを失ったけれども、このことが、イスラエルが完全に恩恵から切離されたことを意味していないと、パウロは言う。なぜなら、もしその召しがまだ開かれている間に、彼らが信仰によって、それを受け入れるならば、他の人々が享受する、キリストとその霊的恩恵につがれる同じ特権を持つからである。

   パウロは、神には野性の枝をついだと同じように、彼らを再びつぐ能力があり、もし彼らが不信仰の状態を継続しない限り、神は喜んでそうする意志があると論ずる。(ロマ112324

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肉的イスラエルへの豊かな祝福

   更にパウロは、イスラエルは彼が求めた最高の祝福と神の国での最高の地位を失ったけれども、偉大な約束は、その国民に対して未だに成就されるべきものであると論ずる。

   というのは、神の賜物、召し、契約、約束は成就されることなく、しりぞけられることはないからである。神は初めから終りを知っておられた。神はイスラエルがメシヤを拒否することを知っておられた。

God knew
Israel would reject the Messiah
and lose the chief blessing.

 

 

Israel was temporarily
cast off from
God’s favor.

 

    この予知にもかかわらず、神が彼らに明瞭な約束を与えられたことは、未だこれから先に、イスラエルが神の代理として世界を祝福する仕事のために使われることを、私達に確証してくれる。

   パウロは更に進んで、神のイスラエルへの契約の約束は、国民としての彼らが天的な子孫になるか、地上的な子孫になるかに関して――すなわち、その約束中に述べられた高い務めを継いでそれを成就するか、低い務めを継いでそれを成就するかに関して――限定されない自由な性質のものであったということを示している。

   神は定められた時まで、高い霊的な恩恵を秘密にしておかれた。そして地上的恩恵のみを彼らに約束された。勿論、神は最初に彼らに霊的恩恵を提供することによって彼らへの愛を示し、そうすることによって、約束された以上のものを提供されたのであるが。ひとことで言えば、天的約束は地上的約束の中に隠されていたのである。

   これらの約束は、必ず果される。神が先ず最初に隠された約束を提供し、次にイスラエルの盲目がそれを拒否したことは決して約束の他の部分を無効にすることにも、取り消すことにもならない、とパウロは言う。

   だから、たとえユダヤ人と異邦人の両方からキリストの花嫁が選ばれる間、国としてのイスラエルは恩恵から切離されても、時が来て救い主(キリスト、頭と体)が完成する時には、神の恩恵は肉的イスラエルに戻り、栄光に輝く救い主はヤコブ――霊的イスラエルは決してヤコブとは呼ばれない――から不信心を追い払うであろう。その時、預言者によって書かれているように、すべてのイスラエル人は救われ(恩恵へと回復され)るであろう。これに関する使徒パウロの言葉は次のようなものである。

Israel’s blindness will be removed
by the Deliverer.

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兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、こうしてイスラエル人は、すべて救われるであろう。

  すなわち次のように書いてある「救う者(キリスト、頭と体)がシオンから来て、ヤコブから不信心を追い払うであろう。そして、これが彼らの罪を除き去る時に、彼らに対して立てる私の契約である」福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。

神の賜物と召しとは、変えられることがない。あなたがた(異邦人)が、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によってあわれみを受けたように、彼らも今は不従順のなかに閉じ込めたのである。(ロマ51719と比較せよ)ああ、深いかな、神の知恵と知識との富は。(ロマ112533

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"Who shall ascend
into the hill
of the LORD?"

神の国の相続者

主の山(支配を象徴する)に登るべき者はだれか?その聖所(宮)に立つべき者はだれか?手が清く、心のいさぎよい者こそその人である。(詩篇2434

   エルサレムの都は、山の頂上に建てられた――二重の頂上である。というのは、この都はチロペオン(Tyropoeon)という名の谷によって二分されていたからである。今でもまだ、一つの城壁に囲まれた一つの都市であるが、二つの部分をつなぐ橋がある。

   この二つの頂上の一つに神殿が建てられた。これは栄光に輝く教会の王と祭司との両方の資質、または二つの部分を持つ一つの神の国、すなわち地上的部分とは区別されてはいるが、一体となった霊的神殿、新しい天的性質(ヘブル911)を象徴するものと考えてもよい。

    

Holyland Hotel Model of Jerusalem

     One of the most detailed models of ancient city, this was designed by a team of historians, archaeologists and builders to make the model painstakingly accurate. Made from Jerusalem’s famed orange-pink stone, it portrays the city as it would have been in Herodian times.

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Tyropean Valley

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The Temple

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Herod's Three Towers

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The Most Holy,
in the sacred
precincts
of the Temple.
     ダビデは、この二つの場所について述べている。この都に入ること自体、一種の名誉であるが、祭司だけが入ることを許された聖なる神殿に登ることは、更に偉大な名誉である。そして、ダビデはこのいずれかの名誉を得ようとする者には、清らかな命と、心の素直さが必要であることを示している。

   忠実なる祭司となる者は、私達の大祭司が清いように、大祭司と共同の相続者にふさわしいと見なされるためには、清らかでなければならない。この希望を持つ者は、大祭司が清い者であったように、自らを清めなければならない。

   すでに見てきたように、これは私達をあたかも絶対に、または実際に清い者であるかのように見なす意図の清らかさであって、私達が肉に従ってではなく、霊に従って歩む時、私達に帰せられたキリストの清らかさが、私達の避けることが出来ない欠点、弱点を補うのである。

Entire consecration to God
will be essential
in the earthly kingdom.

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     しかし、神の国のどちらの部分に入ろうとする人々にも、清らかさと誠実と神への完全な献身が絶対必要であることを忘れてはいけない。古代の聖人がキリストの下に神の国の地上的部分を継ぐのも、これによるのである。彼らは義を愛し、悪を憎み、罪におちいり、或いは弱さにつまずいた時には、深く悲しみ悔いた。

   これは福音時代の忠実な聖徒にも当てはまる。また、神の霊と真理の霊がすべての人間の上にそそがれる千年時代の勝利者がもし神の計画による都――世界の始めから彼らのために準備された御国――に入る権利を得ようとするならば、心と命の清らかさを持つように努力することが必要である。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

The iron rule
will grant no liberty
to do wrong.

 

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神の国の鉄則

キリストの千年の神の国が始まる時、すべての人は、その支配を喜ぶであろうと想像する多くの人がいる。しかし、それは正しくない。その規則は以前に存在したいかなる支配の規則よりも厳しく、人々の自由は現在自由の増大を叫んでいる多くの人々にとって実に耐え難い程、拘束されるであろう。

他の人を欺き、ゆがめ、侵害し、詐取する自由は完全に切捨てられる。飲食のため、自他の健康を損う自由も、良いものを廃退させるいかなる自由も完全に否定されるであろう。いかなる種類の悪を行う自由、または認可はだれにも与えられないであろう。人に許される唯一の自由は、神の子としての真理と栄光の自由

――すなわち、あらゆる意味において、自分自身と他人に善を行う自由――であって、聖なる神の国のどこにおいても損う、または破壊するいかなる物も許されないであろう。(イザヤ119、ロマ821)従ってその支配は、多くの人々にとって厳しいものと感じられるであろう。

   ――彼は鉄のつえをもって支配するであろう。(黙示録22627、詩篇2812と詩篇4914を比較せよ)

   私は公平を測りなわとし、正義を下げ振りとする。ひょう(義のさばき)は偽りの避け所を滅ぼし、水(真理)は隠れ場を押し倒す。(イザヤ2817、マタイ1026

None will live
at the expense
of others.
     多くの者は、その完全な公正な支配に対し、反抗心を抱くであろう。なぜなら、現在の王、サタンの支配下にあり、同胞を支配し、その奉仕に報酬を与えることなく完全に他人の犠牲の上に生きることに慣れているからである。

   放縦、自己満足などの現在の生き方は、御国の公平、平等、正義の教訓を学ぶ前に、当然のこととして、その支配下に多くの厳しいムチを受けるであろう。(詩篇8932、ルカ124748

   このような教訓は、生きている世代に先ず最初に来るのであって、その時は間近に来ているのである。(ヤコブ5)

Laws
of righteousness and equity
will be firmly enforced.
     しかし、幸いにも、命の君がその鉄則によって正義と公平の律法を実施する時、多くの人々は義は国を高め、罪は人々の恥じとなることを知るであろう。彼らは、神の計画と律法がすべてのものの中で最善であることを学び、最終的には、彼らは義を愛し悪を憎むに至るであろう。(詩篇457、ヘブル19

   その支配下にあって正義を愛することを学ばないすべての者は、永遠の命にふさわしくない者とみなされ、人々の中から滅ぼし去られるのであろう。(使徒行伝323、黙示録209、詩篇1157

Jehovah
will be king;
Christ will be his vicegerent.

 

 

"For he must reign, till he hath put all enemies under his feet."

"And when all things shall be subdued unto him, then shall the Son also himself be subject unto him that put all things under him,
that God may be all in all."
I Corinthians 15:25,28

永遠神の国

その日には、エホバは全地の王となられる(ゼガリヤ149)千年の間にエホバがキリストの手のうちに建設される神の国は、エホバの国となるけれども、それは神の代理人としてのキリストの直接的支配下に置かれるであろう。ちょうど南北戦争の後、南部緒州が合衆国政府によって支配されていたのと同じ方法である。

 南部諸州は合衆国の憲法に適合しない恐れがあったので、しばらくの間、彼ら自身の指導者を選び、自治政治を行うことを許されなかった。しかし、実権を持つ政治家達が各州政府を再建し、中央政府の完全な一致に戻る目的のために任命された。

このように、地上の事柄に関わるキリストの特別な支配は、一定の目的のために限られた時間内のことであって、それはその目的の達成と共に終るのである。人間は、その反逆によって、神が与えた権利

――エホバの律法と調和する自治権――を喪失した。神はキリストによって、その権利のすべてを買い戻し、人間が個人的に以前の状態に復帰するばかりでなく、地上の王としての以前の任務に復帰する権利をも保証したのである。

   しかし、神の計画どおりに、現在の経験の教訓を生かす最良の方法で――言い換えれば、人間自身の復帰への努力が要求される方法で――人間を復帰させるためには、強い完全な体制を必要とする。人間の回復を完成するこの名誉は、それを確かなものとするために、死んだキリストに授けられるのである。

  すべての敵を足台とするまで――その名誉を認めず、キリストに従わない者は一人もいなくなるまで――彼は支配しなければならない。その時、人類の再建、または回復の使命を完成してキリストは国を父なる神に渡される。そして人類は最初にそうであったように、エホバと直接に関わることが出来る。――人となるキリスト・イエスの取りなしは、十分に達成され、和解の雄大な事業は完全に達成される。(コリント152528

     現在は、従順の精神、または神の律法を守る努力だけが人間の成し得るすべてのものであるのに対して、完全に回復されるすべての人類は、律法の精神と共に、律法の文字に対しても従順を示すことが出来るであろう。その完全な律法の文字は、これを犯す人間をただちに死に定めるであろう。(コリント36)私達が現在受け入れられるのは、キリストのあがないのみによるのである。
     実際に完全になるまでは、生ける神のみ手のうちに落ちるのは恐ろしいことである。(ヘブル1031)実際に完全な者となるまでは、だれも厳正な正義の律法の前に立つことは出来ない。すべての人間は、キリストの功績と犠牲の下に価いなしに与えられるあわれみを必要とする。

   しかし、キリストがその御国を父に渡される時、キリストは彼らを神の前に欠点のないもの、エホバの完全な律法の下に永遠の祝福を享受するに足る者として献げるのである。すべての恐れはなくなり、エホバとエホバの回復された被造物は、最初にそうであったように、完全な調和を持つようになる。

     千年時代の終りに、キリストが地上の支配権を父に渡される時、最初からこの名誉を持つべく計画された父の代理人としての人類に、これを渡すのである。(コリント1524、マタイ2534)こうして神の国は永遠に存続するのである。そのことが主の言葉の中で語られているのを私達は見る。

   その時、王は右(千年支配の間に、調和と従順によって恵みの地位を獲得する人々)にいる人々に言うであろう「私の父に祝福された人たちよ、(私の父が祝福すべく計画したあなたがたよ)さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受け継ぎなさい。

Perfect man
will be capable
of obeying
God’s perfect law.
     人類のために準備されたこの王国と名誉は、キリストのために準備された更に高い王国と名誉、すなわち世の始まらぬ先から神があらかじめ私達に栄光を与えるために定めておかれたキリストにおける私達の受くべき選びの名誉と混同してはならない。(コリント27

   キリストの特別な仲裁と、地上の支配は終っても、前に示したようにキリストの栄光と支配と力は、その時に終ると結論すべきではない。むしろキリストは、エホバの右に座し、神の栄光と力とに永遠にあずかり、その花嫁である共同相続者は、永遠に増し加わる栄光をキリストと共に分かち合うであろう。

   エホバの代理人たる者の未来に果すべき事業のいかに高大なるかはここに憶測することをひかえ、神の神性な力の無窮と活動力、宇宙の無限とを暗示するにとどめておこう。

Athena.jpg (25355 bytes)      私達の興味の中心が、神の国のどの部分であれ、神の国の実現はすべての国民の望みである。なぜなら、神の国の下に、すべての国民が祝福されるからである。だから、すべての人は、その時を熱心に期待し、すべての人は御国を来らせ給え、御心を天になるごとく地にもならせ給えと祈るべきである。

   すべての被造物が知らずにうめきながら待ち望みつつあるものは、神の子たちの出現と、悪を踏み砕き、そべての国民を祝福し癒す御国の出現である。(ロマ81920

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